文字が書けない…54歳で「若年性アルツハイマー」になった東大教授の苦悩

脳外科医・若井晋が抱えていた葛藤
若年性アルツハイマー病のため、59歳で東京大学教授の職を辞すると決めた若井晋。療養のため、妻と沖縄へ渡った彼は、天職を失い、自分の病を受け入れることもできず、失意と苦悩の日々を送ることになった。そんな彼が、ある「出会い」をきっかけに病を受容する心を固め始める。一体、何が若井を変えたのか? 東京から沖縄へ、そして北海道へ、各地を転々とした夫婦の軌跡をたどってみた。

科研費流用疑惑の調査委員長を交代してから2年近くがすぎた頃、若井は大学で強い回転性のめまいに襲われる。2004年10月のことだ。当時住んでいた恵比寿の官舎まで電車で帰ることができず、タクシーで帰宅。そのまま数日大学を休んでしまう。

自分の体調がいよいよのっぴきならないところまで来ていると感じた若井は、06年3月末で大学を去る意思を固め、克子に伝えた。克子も反対しなかった。

〈支えていてくれて有難う〉

大学を辞めると決めてからも、変調は続いた。運転免許の更新で自分の住所・氏名が書けなかったり、やかんをガスレンジにかけたことを忘れたり、学会の集合時間を忘れたり――。 このころ若井がつけていた手帳には、誤字の多い漢字と平仮名が書き込まれているだけで、空白が目立つ。小さな字で、英語なども交えながらびっしり予定が書き込まれていた昔の手帳と比べると、別人のもののようだ。

手帳(発症前)
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手帳(発症後)
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05年11月ごろ、克子はついに夫の「アルツハイマー」を疑いだした。が、プライドの高い脳神経外科医である夫に、アルツハイマーの可能性を指摘するなどとてもできないことだった。

克子は思い悩んだ。勇気を振り絞って病院での受診を勧めたこともあったが、「なぜ僕が診てもらわなくてはいけないんだ」と若井は吐き捨てるように言い、車でプイッとどこかへ出かけて、しばらく戻らないことがたびたびあった。

だが、アルツハイマーを疑わせるような症状は次第に増えていく。

ある日、克子は覚悟を決めた。これまでに気づいていた、若井が「できないこと」をリストアップし、夫に手渡した。夫はそれにどう反応するのか。まさに神に祈るような気持ちだった。

「……病院に行くよ」

メモをしばらく眺めていた若井は、ついに受診を決断した。

 

このころ若井は、克子にこんなメールを送っている。

〈克子へ。主はみずから先立って行き、またあなたとともにおり、あなたを見放さず、見捨てられないであろう。恐れてはならない。(申命記31)不安はあるけれど信じて委ねたい。支えていてくれて有難う。〉

旧約聖書の一節を引用し、病気と闘う意思と日頃の献身への感謝を伝えたのだ。

若井は都内の大学病院、そして東京都老人総合研究所(老人研、現・健康長寿医療センター)で診察を受けた。

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