手術上手な脳外科医が一転、ネクタイが結べず…東大教授を襲った「若年性アルツハイマー」の現実

阿部 崇 プロフィール

ネクタイが結べない

だが、東大に赴任して間もない2001年頃から、若井は体に異変を感じ始める。まず、原因不明の下痢が続いた。

出張で体調を崩すことは珍しくなかったが、東大時代の若井の下痢はいつまでも治らず、大きな悩みの種だった。

そしてもう一つ。冒頭に書いたように漢字がなかなか思い出せなくなっていった。家族も若井の異状に気づき始める。長男は、父親に漢字の練習を勧めた。

「母から相談を受け『ちょっとやってみようか』ということで、漢字の練習帳みたいなものを買ってきて父にやらせたんです。だけど、最初は相当抵抗していましたね。『部屋に入ってくるな!』という感じで」

銀行のATMが操作できず、しかたなく克子が大学まで現金を届けにいくこともあった。

若井の異変に、職場の人々も次第に気づき始めた。当時、東大の国際地域保健学教室で若井の秘書として働いていた女性はこう回想する。

「教授会にはかならずネクタイを着用していかなければならないのですが、若井先生が『ネクタイが結べなくなっちゃった』と言うんです。私は夫のネクタイを結んだこともなかったんですが、試行錯誤してなんとか形にしました。それから構内のある場所へ向かわなきゃいけないのに、迷ってたどり着けなかったということもありました。あとで先生から『行けなかった』とお聞きした話ですが……」

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また前出の神馬によれば、04〜05年頃、学生たちへの論文指導が急に甘くなったという。

「それに、ちょっと理解しきれないような判断をされるようにもなっていました。国立の研究機関が毎年、国際保健の専門家に研究費を支給していて、05年頃、われわれのところにも1500万円ほど研究費を出すと言ってくれていたのに、若井先生がそれを断られたんです。『どうしてなんだ』という疑問が残りました」(神馬)

こうした変化に家族も周囲も気づきながら、まだ誰も認知症を疑ってはいなかった。「パソコンに慣れすぎて漢字が思い出せなくなる」(秘書)のは誰にでもあることだし、「海外出張で体調を崩すのは当たり前」(神馬)だったからだ。

 

それにこの頃、若井は猛烈なストレスにさらされていた。東大医学部の教授による科学研究費補助金(科研費)流用疑惑が浮上し、学内の調査委員会の委員長に指名されていたからだ。同僚の不正を暴かねばならない仕事は、若井には重すぎる負担だった。

若井の次女が言う。

「当時アメリカで仕事をしていた私は、姉から父の様子を聞いていたのですが、その時期から精神的に急にガクッときたようです。そうなると、それまで隠せていたものが隠せなくなってきたというか……。

私が帰国したときも、『アメリカでの仕事はどうなんだ、クライアントは何人いるんだ』と聞いてきたその20分後ぐらいに、『で、何人クライアントいるんだ』という感じで。母や姉と『同じ質問を何度もするね』って話していたんですけど、違和感があったのを覚えています。

ただ、ストレスから来る一時的なものだろうという感じで、その頃はまだ家族もアルツハイマーだとは思いませんでした」

<『G2』(講談社、2013年)より>

最高学府の教授でもあった夫・若井晋。その彼が若年性認知症になるとき、本人は、そして家族は、どうしたのか。病を受け入れてもなお歩き続けた夫婦の軌跡を、妻・若井克子が克明に描き出す新刊『東大教授、若年性アルツハイマーになる』は、全国の書店・ネット書店にて好評発売!

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