独立してわずか1年で「ミシュランガイド東京2021」の1つ星に輝いた鮨店がある。店主が韓国出身ということでも話題をさらったその店は、2022年度版においても星を獲得。鮨職人としての実力を証明し、いまでは予約困難な超人気店となっている。店主はどういう経緯で鮨職人を目指したのか、そして今、どんな想いで鮨を握り続けるのか。ボーダーレス化が進む鮨業界の最前線を追うーー。(文:芹澤健介/写真:藤牧徹也)
漫画の主人公が羨ましいと思った
東京・麻布十番。食通たちが集う街の静かな路地に、その店「すし家 祥太」はある。白木のカウンターが凛とした雰囲気を醸し、ツケ場正面には北大路魯山人作の静物画と器が飾られている。
「オープンしたのは2019年の11月23日。ですから、もう2年とちょっと経ちましたが、すぐにコロナが流行りだしたので、まだ親も呼べてないんですよ」
流暢に日本語を操る彼の名はムン・ギョンハンという。韓国西部の論山(ノンサン)という山間部の地方都市で生まれ育った。

「ノンサンはイチゴ農家が多い田舎町です。うちの実家もイチゴを栽培しています。ぼくは長男なので、将来は後を継ごうかと思っていたんですが、親に反対されました。『農家は大変だから別の仕事に就きなさい』と。そんなとき、あの漫画に出会ったんです。中学3年生の頃でした」
鮨職人を目指す少年の成長物語を描いた『将太の寿司』は、韓国でも人気の漫画作品だ(韓国名:『ミスターすし王』)。
「ぼくは、勉強ができたわけでもないし、とくにスポーツができたわけでもなくて、正直、夢もなかった。日本語でどう言えばいいのか……自分の中に熱はあるけど、それをどこに向けたらいいのかわからない。そんな時にあの漫画を読んだんです。感動して、一気にハマりました」
だが、地元に鮨屋はなく、鮨がどういう味なのかもわからなかった。
「お鮨どころか、日本食も食べたことありませんでしたから。でも、同じ年頃の将太君が寝ないでシャリを握る練習をしたりする姿を見て、羨ましいと思ったんです。今の自分にはそこまで集中できるものがない。でも、僕もそういうものがほしい。熱中できるものがほしい」
鮨職人になりたい。ムン少年の心の中には、いつしかそんな目標が芽生えていた。