2022.02.12

「司令部がボンクラ」…責任逃れでごまかされた、「ミッドウェー海戦」大敗の“真相”

昨今の日本では、責任ある者たちの言い逃れとしか思えない言動がまかり通っている。いつの間に、日本社会はこんな風になってしまったのかと思うのだが、太平洋戦争の最前線で戦闘を経験した多くの搭乗員を取材した神立氏によれば、この責任逃れ体質は、日本人をどん底に追い込んだあの戦争においてもおおいに発揮されていたという。

前編では、甘利洋司一飛曹を機長とする重巡「利根」四号機が10隻の「敵らしきもの」を発見し報告するも「らしきもの」というあいまいな表現が判断を遅らせたとする、司令部の責任逃れの回顧を紹介した。後編となる本稿では、この言い訳に憤りをあらわにする吉野治男さんの証言から紹介する。

【前編】「ミッドウェー海戦」で大敗した海軍指揮官が、保身のためについた“まさかの大嘘”

 

命じておいて信号文も知らない…

吉野治男さん(当時・一飛曹、のち少尉)は昭和13(1938)年、海軍に入隊した甲種予科練二期の出身で、「利根」四号機の甘利一飛曹とは同期生である。雷撃(魚雷攻撃)隊の一員として真珠湾攻撃に参加して以来、多くの実戦で場数を踏んできた吉野さんは、その実力を認められ、索敵のエキスパートとしての専門教育を受けていた。

「フロートのついた低速の甘利の水上偵察機が、敵戦闘機や防御砲火を避けつつ、ここまで触接を続けられたのは大変な努力の賜物です。よく映画で、索敵機が高い高度から雲越しに敵艦隊を発見したように描かれていますが、そんなことはありません。高高度からだと天候に左右される上に敵に発見されやすく、逆に敵艦を見つけにくい。

索敵機の飛行高度は300~600メートルが通例で、私のこの日の飛行高度は600メートルでした。低空を飛んで、水平線上に敵艦を発見した瞬間に打電しないと、こちらが見つけたときには敵にも見つけられていますから、あっという間に墜とされてしまう。敵に遭えば、墜とされる前に、どんな電報でもいいから打電せよ、と私たちは教えられていました。

たとえば、『敵大部隊見ゆ』なら、『タ』連送。『タ』『タ』『タ』そして自己符号。それだけ報じれば、もう撃ち墜とされてもお前は『殊勲甲』だと言うんですよ。甘利機が一時間以上も触接を続けられたのは、私らはほんとうにすごいことだと思う。『らしきもの』の報告で判断が遅れたなんて、そりゃあ、命じておいて信号文も知らない司令部がボンクラなんです」

空母「加賀」から索敵に飛んだ吉野治男一飛曹(のち少尉)

甘利機が予定コースを大幅に外れていたことについては、吉野さんと同じく、予科練同期生の小西磐さん(少尉)が戦後、当時の資料をもとに精密な類推を試みている。これは甘利一飛曹の航法ミスではなく、日米の記録を照合すると、このとき、「利根」航海士が天測で導き出して、搭乗員に伝えた出発位置そのものに誤りがあり、実際の出発点から索敵線を引けば、甘利機のコースとピタリ一致するという。

SPONSORED