2022.02.12

「ミッドウェー海戦」で大敗した海軍指揮官が、保身のためについた“まさかの大嘘”

昨今の日本では、責任ある者たちの言い逃れとしか思えない言動がまかり通っている。いつの間に、日本社会はこんな風になってしまったのかと思うのだが、太平洋戦争の最前線で戦闘を経験した多くの搭乗員を取材した神立氏によれば、この責任逃れ体質は、日本人をどん底に追い込んだあの戦争においてもおおいに発揮されていたという。
 
被弾した空母「飛龍」

現場の声と参謀たちの発言のズレ

太平洋戦争が始まって約7ヵ月後の昭和17(1942)年6月5日、それまで無敵を誇っていた日本海軍は、ミッドウェー海戦で、南雲忠一中将率いる「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の主力空母四隻を撃沈され、開戦以来はじめての大敗を喫した。圧倒的に優勢な戦力を擁しながら、劣勢のアメリカ艦隊に敗れたこの戦いが、「あの戦争」の一つのターニングポイントになったことに、議論の余地は少ないと思う。

ところが、この海戦に参加し、じっさいに戦った将兵にインタビューを重ねると、重要な場面で、「現場の声」と、「巷間伝わる『定説』」との間には小さくないズレがあることが感じられた。それを端的に表せば、「定説」は「司令部の責任逃れ」の産物が元になっていて、当事者の見たもの、体験したこととの間には乖離がある、ということだ。

これまでに発表された多くの戦記や小説、映画では、ミッドウェー海戦が「定説」を前提に描かれていて、そこに当事者の生の声が反映されることは少ない。しかも、海戦から80年もの歳月が経ち、この戦いに参加した将兵も、ほとんどが鬼籍に入ってしまった。誰かが声を上げなければ、「責任逃れ」が永久に正しい「歴史」として残ってしまうだろう。

「定説」の底本になっているのは、淵田美津雄、奥宮正武共著の『ミッドウェー』(日本出版協同・1951年刊)である。淵田氏は元海軍大佐。真珠湾攻撃のさい、空母「赤城」飛行隊長として攻撃隊総指揮官をつとめたことで知られる。ミッドウェー海戦のときは虫垂炎の手術直後で攻撃には出られず、「赤城」艦内で敵機の攻撃を受け、負傷。のち、聯合艦隊参謀などの職を歴任する。

奥宮氏は元海軍中佐。生粋の飛行機乗りだが、太平洋戦争開戦時にはすでに参謀をつとめていて、「戦う側」ではなく「命じる側」の立場で終始している。ミッドウェー海戦のときは、この作戦の別働隊であるアリューシャン攻撃部隊の航空参謀だった。

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