幼少期から母親からの暴力を受けていた40代の若林奈緒音さん(仮名)が、自身の体験を伝えている連載「母の呪縛」。
第4回の前編では、奈緒音さんら子どもが食事を残したときには無理やり食べさせるような母が、父には従順で、無言で料理を残されても何も言わずに下げるような関係だったこと、それが阪神大震災のあと、父が母の親戚の会社に転職したこともあいまってその関係が大きく崩れていったことをお伝えした。

後編では、キルトを作り、おはぎも小豆を炊いてもち米をつくところから始めていた母が、人が変わったようになってしまった経緯をお届けする。

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年の近い姪と遊ぶことが「青春のやり直し」

阪神淡路大震災で大切にしていた食器がすべて割れた日から、父と母の関係は大きく変わった。ちょうどそのとき、震災後の高速道路を見て恐れた母の懇願により父が長距離トラックの運転手を辞め、母の親戚の会社に転職したことも大きい。母はそれまで父に従順で、私たちにも父への感謝を口にしていたが、もはや父を軽んじるようになっていた。

特に、歳の離れた一番上の姉の長女と母との密な関係が、私たち家族に大きく影響を与えた。

母にとっては歳の近い姪にあたるが、友人のように親しくなった。彼女は当時30代後半の独身で、実家が裕福だったのでお金には困っていなかった。母にむかって「おばちゃん、おばちゃん」と懐いていて、母も可愛くて仕方ないようだった。当時の彼女はほとんどピンクハウスの服を着ていた。そして母にもお古をくれることもあった。パッチワークが趣味で、可愛いデザインが大好きな母は彼女に会う日は毎回もらったピンクハウスの服を着るようになっていた。

姪の母へのプレゼントはエスカレートしていった。お古だけではなく、タグが付いたままの服、靴やブランドバック、財布……。プレゼントは段ボール一杯に部屋に重なっていった。母はそのたびに「小さい時もお姉ちゃんが4人もいたから、いっつも着古したお下がりだった。こんなおしゃれさせてもらったことがない、ありがとう。嬉しい!」と喜んだ。

そのうち、宝塚歌劇団や韓流が好きだという姪と宝塚の観劇や韓国旅行にも行くようになった。韓国旅行から帰ってきたときは、業者かと思うくらい大量のお土産、韓国のりや韓流グッズなどを買って帰ってきた。母は、「全部すごい安かった!自分ができなかった青春時代を、今楽しんでいる」と嬉しそうだった。

青春を取り戻すかのようにショッピングに…Photo by iStock