決死の脱出劇!頼朝・時政・義時が辿った逃走経路の謎

歴史家が見る『鎌倉殿の13人』第6話
『頼朝と義時』(講談社現代新書)の著者で日本中世史が専門の歴史学者の呉座勇一氏が、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送内容をレビューする本企画。第6回目となる今回は、石橋山合戦で大敗した源頼朝らが、敵の追手から必死に逃れる様子を描いた昨日放送の第6話「悪い知らせ​」について、さまざまな史料や最新の学説を参照しつつ、専門家の視点から見たみどころを解説してもらいました。

第1回:いよいよ放送開始!『鎌倉殿の13人』第1話を歴史学者はどう観たか
第2回:仲が悪いけど実は〇〇〇!?伊東祐親と工藤祐経の複雑すぎる関係
第3回:源平合戦の幕開け! なぜ以仁王と源頼政は挙兵するに至ったのか?
第4回:頼朝軍の最初のターゲット! 山木兼隆と堤信遠って何者??
第5回:北条時政と大庭景親の罵り合いに見る、当時の「現金」な主従関係

『鎌倉殿の13人』の第6話では、石橋山合戦で大敗した源頼朝らが辛くも逃げ延び、安房国に渡海するところまでが描かれた。戦死した兄・宗時の志を受け継いだ北条義時の気魄に圧倒された。歴史学の観点から第6話のポイントを解説する。

 

梶原景時助命伝説の真偽

石橋山合戦で敗れ、箱根山中を逃げ回った源頼朝は奇跡的に敵地脱出に成功する。その理由として良く知られている逸話が、この時、敵方の梶原景時が頼朝を見逃したというものである。前田青邨の名画『洞窟の頼朝』を何らの形でご覧になった方は多いだろう。上述の助命伝説は『吾妻鏡』にも見えるが、最も詳しく語っているのは軍記物『源平盛衰記』である。

『源平盛衰記』は頼朝と景時の邂逅を次のように記す。源頼朝は土肥郷の椙山(すぎやま)へと逃れ、「鴟(とび)の岩屋」という谷に降りたところ、7、8人が入れそうな大きな伏木を見つけた。頼朝一行は伏木の中に隠れて一休みする。この時に頼朝に付き従っていたのは、土肥実平・遠平父子、土屋宗遠、岡崎義実、安達盛長らだった。

一方、大庭景親らは頼朝捜索のため山狩りを行っていた。景親は「あの伏木が怪しい」と言い、梶原景時が弓を脇に挟み太刀に手をかけて伏木の中に入る。そこで頼朝と景時は正面から目と目を合わせる形になった。頼朝はもはやこれまでと思い、自害するために腰の刀に手をかけるが、景時はこれを制して「お待ちくだされ。助けてさしあげる」と述べる。外に出た景時は「蝙蝠が騒ぎ飛んでいるだけです」と景親に報告した。景親は納得せず、自ら伏木の中に入ろうとするが、景時は「それがしを疑うおつもりか」と景親の前に立ちはだかる。

『源平盛衰記』はなおも疑う景親が、落雷など種々の奇瑞(きずい)の発生によって捜索を断念する様子を描くが、その顛末は省略する。ともかく、景時が頼朝の命を救ったことを同書は強調している。頼朝は景時の後ろ姿に三度礼をして「生涯、この恩は忘れない」と心に誓うのである。

この逸話はあまりに劇的で、史実とはみなしがたい。山本幸司氏は、「後年における頼朝の過剰なまでの景時の寵用」を説明するために「椙山の危機における景時による頼朝の助命」という伝説が生まれた、と推測している(『頼朝の精神史』講談社選書メチエ、1998年)。従うべき見解であろう。現実に頼朝の逃走に大きく貢献したのは、現地の地理に精通した土肥実平だと思われる。

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