性暴力が終わっても、トラウマは消えない

「解離」で厄介なのは、実際には感じている苦しみや痛みをその瞬間には感知しないように記憶を冷凍保存しているだけということ。この記憶は「トラウマ記憶」と呼ばれる。解離したことで逆に反動がいずれ訪れる。このことを精神医学的には「PTSD」と呼ぶという。私の場合は、臨床心理士によると「複雑性PTSD」に近いと言われている

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私はAから解放された後に、複雑性PTSDに襲われた。ふとしたことで、どうすることもできないパニック発作や自傷衝動に襲われた。身体症状としては、過呼吸が始まって、自分の力では泣き叫ぶ声が止まらなくなった。実際、自傷行為に及んでしまうこともある。

もうAの暴力と支配からは自由になったはずなのに、「私は暴力を受けるべき存在なんだ、幸せな場所にいていいはずがない存在なんだ」と感じてしまう。暴力を受けていた当時、つらく苦しい世界に辻褄をつけるため必死に言い聞かせていた言葉が今も蘇り、自分自身が幸せを感じることを許さないのだ。本当は幸せになりたい……、でも、幸せを感じると怖くなり、反動で自傷衝動が止まらなくなってしまう。何が幸福で何が苦しみなのか、何が暴力で何が愛なのか……。こうやって原稿を書いて人に伝えられる仕事についている今も、実は「混沌の世界」に生きている。

日本ではまだまだ性虐待を含むトラウマ治療の専門家は少ない。私もやっとのことで自分に合った専門家に繋がり、治療を始めることができた。私が治療を始めたのは、2018年2月のこと。しかし、そこからすぐ継続的に行けるようになったわけではない。先述の通り、「幸せになってはいけない」「光が当たる場所なんて似合わない、怖い」そういう思いが先立って、治療に1度行っても数ヶ月から1年近く間が空くこともあった

ちなみに、どうせ自分は暴力から逃れられない存在と信じ込まされてしまい、幸せになることは不安にさえ感じて、治療が進まないのは「学習性無力感」によるものだという。暴力などに対して抵抗したり回避できない状況に長く置かれると、逃げられる状況になったとしても、そこから出る努力さえできなくなってしまうというのだ。なんとも恐ろしい話だが、1960年代にはこの問題を研究する論文(※2)も発表されている。

また、性暴力の話をすると、「嫌なら逃げればいい」「逃げなかったのはその気があったのでは」と簡単に言う人がいるが、「逃げる」選択は「逃げられる」と思った時にしかできない。人間を含め動物は、「逃げられない」と思うと、その場で固まり、苦しみが過ぎ去ること、できれば死んだとでも思われて生き残れることを祈る仕組みが本能として備わっている。例えば、森で突然熊に遭遇したら、叫ぶことも走って逃げることもできず、恐怖で硬直する人がほとんどだろう。「逃げることができた」のは、実は幸運だった、ということを知ってほしいのだ。

※2:Overmier, J. B., & Seligman, M. E. (1967). Effects of inescapable shock upon subsequent escape and avoidance responding. Journal of Comparative and Physiological Psychology, 63(1), 28–33.

「逃げられたのに逃げなかった」のではなく、「逃げたいのに逃げられない」のだ。photo/iStock