2022.01.29
日本の「遊女」たちは、どこがスゴかったのか? 人々を惹きつけた「魅力」の正体
日本文化の髄が詰まっている遊女の来歴
『遊廓と日本人』(田中優子著/講談社現代新書)は、「吉原遊廓とはどういうところか」を理解するのに適した1冊である。
おそらく『鬼滅の刃』の吉原遊郭編が放送されるのに合わせて出版されたものだろう。
本書のはじめにも少し触れられている。
ただ、内容はべつだんアニメに寄ったものではない。江戸時代から大正時代までずっと遊廓にいる不気味な花魁や、妓夫太郎の恨みについては触れていない。
きちんとした歴史事実や文献から紐解く正面からの「遊廓」の解説である。
本書ではまず「遊女」の歴史を簡単に触れる。
12世紀に大江匡房の書いた「遊女記」から、古代から続く遊女の姿を紹介する。
その当時は「遊廓」は存在せず、つまり見世(店)というものはなく、彼女たちは船に乗って移動し、そこで楽器を奏で、唄を唄っていた。お呼びが掛かると屋敷などに出向いていった。いわば「派遣型」である。
それが遊女の原型らしい。
「遊廓」という場所が出来上がったのは江戸時代。
その前に「出雲阿国の踊りによる街の狂乱」状態が起こったという。
軽く触れられている部分ではあるが興味深い。著者の描写のうまさによるものだろう。
京都の街を熱狂に巻き込んだ阿国たちの「かぶき踊り」は、男装した女性と、女装した男性の演じるミュージカルのようなものだったらしい。
設定がすでに妖艶だが、そのうえ香木の伽羅を焚きしめた鮮やかな服で踊るので、劇場が伽羅の香りに満ちていた。