見知らぬ人はすべて「不審者」、行き過ぎた通報も…平日昼間に出歩く中年男性の僕が困惑した理由

赤木 智弘 プロフィール

「万が一」を疑うことで防げる犯罪もあるが

かくいう僕も、平日の昼間に1人で外出している中年男性ということで、れっきとした不審者である。

確かに「万が一」を疑い、中年男性やマイノリティを不審者として認識することは、100%間違いだとは言い切れない。実際そうして防げた犯罪もあるだろう。

万が一に備えて不審者情報に目を通すこと自体が悪いわけではない。しかしその一方で、常に自分たちの身の回りに不審者がいると考え続ける事は、子供やその両親にとっては苦痛なはずである。

少なくとも僕にとっては、親子連れや警察から不審者扱いされかねないと思い続けるのは苦痛である。

僕は警察が「不審者情報」という名前の未確定情報を垂れ流すのは、あまり良くないと考えている。

不審者情報をデータとして集積すれば、何らかの防犯対策に使えるのかも知れないが、データを読めない人に対して未確認情報を垂れ流したとしても、不安が喚起されるばかりで冷静な対応は期待できない。

もちろん、不審者情報が防犯意識を喚起していることは理解できる。だがその一方で、不審を煽っているとも言えるのである。防犯意識が先なのか、不審者情報が先なのか、僕は単純には答えは出せないと考えている。

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そして不審者という不安は、マイノリティへの差別的な視座として現れる。親子の苦痛とマイノリティへの差別視。それは「万が一」のために支払う代償としては、余りに重すぎるように僕は思う。

僕はもう少し不審者情報というものの取り扱い方を、慎重に考えるべきだと考える。防犯意識は時には他者への不信を肯定してしまう側面があるという事を、頭の片隅にでも認識していただけるとありがたい。

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