見知らぬ人はすべて「不審者」、行き過ぎた通報も…平日昼間に出歩く中年男性の僕が困惑した理由

赤木 智弘 プロフィール

防犯としての「あいさつ」

にも関わらず、日々届く不審者情報は、私たちを不安にさせる。穏やかだった昔よりも、今の方が子供が犯罪に巻き込まれやすい社会なのだと思い込んでしまう。

僕が子供の頃は子供たちは学校が放課後になると、適当に公園や空き地、または友達の家などに集まって遊んでいた。親は子供などは放っておいたし、子供も適当な時間に家に帰っていた。

しかし現在ではそうした子供はネット上では「放置子」と呼ばれ、自分勝手な子供として嫌われ、その親は無責任であると非難されてしまう。

子供を常に目の届くところに置いて育てるのが、親の当然の役割という社会的なコンセンサスが生まれ、子供の周囲に親が過敏になる。不審者から子供を守る事が親の責任ということになってしまい、不審者情報に過敏にならずにはいられない。

そんな状況で、不審者情報は、本当に子や親を「守って」いるのだろうか?

不審者対応として子供に「あいさつ」を教える地域がある。

犯罪者はあいさつをされるなど、人に声をかけられると犯行を諦める傾向があるから、防犯のために子供たちに元気にあいさつをさせるのだという。

しかし、あいさつというのは防犯目的で行う行為だっただろうか?

 

僕はほとんど近所づきあいはないが、それでも朝ゴミ出しなどをするときに、近所の人とすれ違って「おはようございます」と挨拶を交わす。これは相手からすれば防犯目的で、僕が不審者に見えるからあいさつをしているのだろうか?

子供に防犯目的であいさつをさせることは、子供が大人になったときに、あいさつという日常的な行為に対して、なにか間違った認識を残してしまうのではないかと心配である。

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