2022.01.30

壮絶…奇跡的に生還したパイロットが「墜落した瞬間に思ったこと」

戦時下のおぞましい記憶
神立 尚紀 プロフィール

自決する者もいた洋上漂流の不安と恐怖

「海に落ちてから落下傘を外そうとしましたが、水中ではこんな単純な作業も手間取るもので、海中で体を回転させて、苦労してようやく外しました。海面に顔を出して周囲を見渡すと、頼みの『長良』は全速力で横を通り過ぎて行ってしまう。波は高くないがうねりがあって、底に沈んだときは四方は海の壁みたいだし、頂上では周囲が一望にできて、その差10メートルはあるように感じました。うねりに持ち上げられたとき、水平線の彼方に三筋の黒煙が見える。その付近にわが艦隊がいるにちがいないと思い、その方向をめざして泳ぎはじめました」

藤田さんには知る由もなかったが、遠望した黒煙は、被弾した空母「赤城」「加賀」「蒼龍」から立ち上るものだった。藤田さんが味方対空砲火に撃墜され、落下傘降下した直後、零戦隊が低空の敵雷撃機に気を取られている隙に、上空から断雲を縫うように急降下してきた敵艦爆の投下した爆弾が、3隻の空母に次々と命中したのだ。

海上を漂流している藤田さんには、味方艦隊にいま何が起きているのかわからない。ライフジャケットをつけているので浮力はあるが、泳いでいるうち、身につけているものが海水を含んで重くなってくる。飛行帽、手袋、飛行靴と順に脱ぎ捨て、しまいには靴下まで邪魔になって脱ぎ捨てた。鱶(サメ)が気になったが、鱶は自分よりも長いものは襲わないと言われていたので、首に巻いていたマフラーをほどいて腰に結んで垂らす。ところが泳いでいるうち、海水が胸元から入って寒くなってきた。我慢できなくなり、垂らしたマフラーを手繰り寄せて、首に巻きなおす。

「鱶に食われたら仕方ないわい」

と諦めることにした。

しばらく泳いたが、味方の艦隊は一向に近くならない。藤田さんはじたばたするのをやめ、海面に大の字になって、暖をとるため手と足の先だけを水面から出した。

「何もすることがないので、自分の手を見て手相を勝手に判断したり、瞑想にひたっていましたが、空腹と疲労のせいか眠くなってきました。こんなウトウトした状態で死ねたら楽だな、などと考えているうち、ほんとうに眠ってしまったようです。

墜落して4~5時間も経ったかと思われる頃、なんだか周囲が騒がしくなったので目を覚ますと、なんと『赤城』が燃えながら約1000メートルのところにいる。まだスクリューが回っているのか、少しずつ動いていました。駆逐艦『野分』が『赤城』の警戒をしながら私のほうへ向かってくるので、これは助かったと思って泳いでいくと、『野分』の機銃が私を狙っている。首だけ出して泳いでいたら、遠目には日本人だかアメリカ人だか、見分けはつきませんからね。また味方に撃たれてはかなわんと思い、あわてて立ち泳ぎをしながら手旗信号で、『ワレソウリュウシカン』(われ『蒼龍』士官)とやったんです。

やがて銃口が上がったので安心して泳ぎつき、舷側から垂らしてくれた縄梯子を上って、ようやく甲板にたどりつきました。気が緩んだためか、一時的に記憶喪失症のようになりました。だからいまでも、戦争中のことはどうしても思い出せないことが多いんです。――これは、歳のせいかもしれませんがね」

不時着水の例。昭和19年10月25日、比島沖海戦で還るべき空母を失い、海上に不時着水する零戦と、救助に向かうカッター(1)。この機の搭乗員は南義美少尉と言われている
不時着水の例。昭和19年10月25日、比島沖海戦で還るべき空母を失い、海上に不時着水する零戦と、救助に向かうカッター(2)。
 

藤田さんと同じく空母「蒼龍」零戦隊の生き残りで、燃料が尽きて不時着水、海面を4時間漂流の末、駆逐艦「巻雲」に救助された原田要さん(中尉/1916-2016。戦後、幼稚園経営)によると、漂流中、同僚の高島武雄二飛曹が、生きる望みを失ったものか、持っていた拳銃で自らの頭を撃ち抜き、自決したという。還るべき母艦を失い、戦場の海をあてどもなく漂流する不安は、想像を絶するほどのものであったのだ。

この海戦で、日本側は主力空母4隻のすべて、すなわち「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」と飛行機280機を失い、開戦以来初の大敗を喫した。

昭和17年6月5日、ミッドウェー海戦で敵機の攻撃を受ける空母「蒼龍」(米軍撮影)

ただし、ミッドウェー海戦での飛行機搭乗員の戦死者数を比べると、日本側121名(水上偵察機の11名を含む)に対し、アメリカ側は約210名と、倍近い差がある。空中の戦いに限って言えば、まだ日本側の方が優勢だった。

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