2022.01.30

壮絶…奇跡的に生還したパイロットが「墜落した瞬間に思ったこと」

戦時下のおぞましい記憶
神立 尚紀 プロフィール

味方の母艦から飛んできた機銃弾が機体に命中

戦争が始まれば、戦闘で喪われる飛行機は加速度的に増えてくる。敵機や敵の対空砲火に撃墜される例が多いのはもちろんだが、なかには味方撃ちの例も少なからずあった。

 

空母「蒼龍」零戦隊分隊長だった藤田怡與藏さん(少佐/1917-2006。戦後、日本航空機長)は、昭和17(1942)年6月5日、日米機動部隊が激突した「ミッドウェー海戦」で、来襲する敵機を邀撃中に、味方の対空砲火に撃墜されている。

「ミッドウェー島攻撃に向かう第一次攻撃隊が発艦するのを上空から見送った直後、モールス信号の無線電信で敵機来襲の報を聞き、指示された方角に、低空を飛んでくる双発のマーチンB-26多数を発見。追いかけたものの間に合わず、するとまた敵編隊来襲の報が入ったのでそちらの方角に向かって……」

藤田さんの目に、約20機の敵艦上爆撃機(急降下爆撃)が、5機ずつの編隊を、4段の梯型に組んで飛んでくるのが見えた。周囲を見渡すと、これを攻撃できそうな位置にいる零戦は藤田機しかいない。

藤田怡與藏さん。ミッドウェー海戦で、味方の対空砲火に撃墜され、海面を漂流した。戦後は日航に入り、日本人初のジャンボ機機長となる(右写真撮影/神立尚紀)

「私1機でこいつらに爆撃させないためにはどうしたらいいか考えました。そうだ、敵は斜め後ろ下がりの梯型で来てるんだから、それを、敵が一線に見える斜め上方から攻撃して弾幕をつくれば、相当数撃墜できるんじゃないかと。そう思いついて私は、機銃の発射レバーを握って遮二無二突っ込んでいった。一撃後、振り返ってみると、はたして2機が煙を吐いて編隊から脱落してゆく。同様に何度か攻撃を繰り返し、敵機が約半数になったところで味方の零戦隊も加わって、急降下爆撃に入れた敵機は3機だけでした。これも私が針路を妨害したせいか、味方艦隊への命中弾は1発もなし。ホッとしましたね」

敵機の来襲は切れ目なく続く。藤田さんは、アメリカ軍パイロットたちの勇敢さに内心、舌を巻いた。次に来たのは雷撃(魚雷攻撃)機。これも約20機が、先ほどの艦爆と同様の編隊を組んで飛んでいる。藤田さんはまたもや斜め上方から攻撃をかけ、駆け付けたほかの零戦とともにその大部分を撃墜した。雷撃に成功した敵機は3機のみ。だがこれらの魚雷も、味方空母の巧みな操艦で回避された。

「敵襲が一段落し、弾丸も撃ち尽くしたので着艦しました。艦橋で報告し、握り飯を待っていると、またもや敵襲。飛行甲板上に準備されていた零戦に急いで飛び乗りました。指示された方位に飛ぶと、敵はまたも雷撃機。先ほどと同じような編隊で、同様の攻撃をしているうちに残りは4機だけとなり、味方の零戦のほうが多くて空中接触の危険を感じたので、あとは仲間に任せようと、味方の母艦に腹(機体下面)を見せる形で旋回した。そこへ、『赤城』の方向から飛んできた機銃弾が、私の機体に命中したんです。

カン、という音が足元でしたと思ったら、白煙が出てきて、すぐにパッと火がつき操縦席に燃え広がった。胴体の燃料タンクに命中したんでしょう。炎除けに、絹のマフラーをひっぱり上げて顔を覆い、飛行帽の上に跳ね上げていた飛行眼鏡をかけ、不時着水しようと海面の場所を見定めているうちに、目の前にある7.7ミリ機銃の機銃弾倉に火がまわって、銃弾がパチパチ弾けだした。自分の機銃弾に当たったんじゃつまらないと思い、落下傘降下を決意して、ふたたび高度を上げて見ると、眼下に軽巡『長良』がいる。よし、ここで飛び降りようと、風防を開けバンドを外して身を乗り出したんですが、風圧で体が後ろに押しつけられて脱出できない。それで、両足を風防の上縁にかけ、のけぞって機体の横に転がり出ました」

脱出のとき、高度計をチラッと見ると200メートルを切っていた。落ちてゆく途中、ヒューヒューと風を切る音は聞こえるが、落下傘はヒョロヒョロ伸びるばかりで開かない。風をはらまないのだと直感した藤田さんは、傘体を両手でつかんで思い切り振ってみた。とたんに大きなショックを感じ、落下傘が開いたと思った次の瞬間には海面に叩きつけられた。言葉にすると長いが、ほんの数秒の出来事である。

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