2022.01.30

壮絶…奇跡的に生還したパイロットが「墜落した瞬間に思ったこと」

戦時下のおぞましい記憶
神立 尚紀 プロフィール

思わず「お父さん!」と叫んだ

昭和15(1940)年9月13日、中華民国・重慶上空での零戦デビュー戦や、昭和16(1941)年12月8日の真珠湾攻撃第二次発進部隊で零戦隊の指揮をとった進藤三郎さん(少佐/1911-2000。戦後、山口マツダ常務)は、戦場に出るまでの訓練中に三度の事故に見舞われている。

 

一度めは昭和10(1935)年11月、空中火災だった。

零戦のデビュー戦や真珠湾攻撃の制空隊指揮官を務めた進藤三郎さん(右写真撮影/神立尚紀)。幾度もの事故から奇跡的に生還した

「大村海軍航空隊で、機体の飛行時間200時間ごとに行われる定期分解手入終了後の試飛行のために離陸しました。飛行機は九〇式艦上戦闘機です。一通りのテストを行い、最後に背面上昇飛行を試みたら、突然、座席内がガソリン臭くなり、ガソリンのしぶきが顔にかかった。急いで機体を引き起こすと、足元から火焔が噴き出してきたんです。

はじめは冷静に、練習航空隊で習った消火方法をあれこれ試してみたものの、火勢はますます強くなるばかり。足から腕にまで火がついてそろそろ慌て出し……落下傘降下しようと下を見たら、ちょうど大村市街の上空だったので、ひとまず大村湾上空まで飛びました。それでようやく脱出しようとしたら、安全バンドが新式のに変っていて、航空手袋をしたままだと留め金が外せない。やむなく海上に不時着水を決意したんですが、もう操縦席は炎に包まれ飛行服も燃えていて、あまりの熱さに思わず『お父さん!』と叫びましたよ。

顔にかかる炎を避けようと機体を横すべりさせながら、猛烈なスピードのまま海面に突っこんで、気がついたときは海底に沈んでいました。バンドが外せないので、落ち着こうと一度海水を飲み、手袋を脱いでやっと留め金をはずして浮き上がることができました」

進藤さんは、ちょうど側で漁をしていた漁船に救助された。漁師の話では、燃えながら墜ちてきた飛行機が沈んでから、進藤さんが浮かんでくるまで1分半ほどだったという。後日、機体を引き揚げ調査したところ、火災の原因は、整備員が燃料タンクの蓋をきっちり閉めていなかったことだった。安全バンドの留め金の形状も、手袋をしたまま外せるよう、すぐに改良されることになった。

海中に墜落し、引き上げられる九〇式艦上戦闘機。このような事故はしばしば起こった

二度めの事故は、火傷も癒えた昭和11(1936)年2月27日のこと。この日、大村は吹雪だったが、夜には天候が回復したため、夜間の離着陸訓練が行われることになった。経験のない夜間飛行だから、飛行機は2人乗りの九〇式二号艦上偵察機で、後席には教員役としてベテランの戦闘機乗り・半田亘理一空曹が同乗した。

「すると、大村湾上空で突然、エンジンが停止しました。燃料切れと判断、燃料コックを切り換えたんですがエンジンはかからず、やむなく冷たい海面に不時着水。飛行機はしばらく浮かんでいて、尾翼の航空灯は点灯したままでした。半田一空曹にも怪我はなく、飛行機につかまりながら救助を待ちましたが、2月の海は耐えがたいほど冷たく、30分後、救助艇に助け上げられると同時に気を失いました。例によって飛行機は引き揚げられましたが、原因は、前日の分解手入のさい、燃料コックの目盛板が90度ずれて取りつけられていたためでした」

憧れて戦闘機乗りになったが、数ヵ月のうちに二度の大事故に遭い、2機の飛行機を壊したことで、進藤さんはしばらく飛行機に乗ることに恐怖を覚えたという。三度めの事故は、昭和11年5月のことだった。

「大村から沖縄への単独洋上航法訓練の帰途、鬼界ヶ島に不時着する訓練が行われたんですが、未完成の飛行場で不整地に機首を突っ込んでしまい、逆立ち状態になってプロペラを曲げてしまいました。しかし、三度めの正直というのか、これでなんだか厄払いができた気がして、以後はまた飛行機に乗るのが楽しくなりましたね」

――後日談になるが、このときから60年後の平成8(1996)年8月、私は、進藤さんの海軍兵学校六十期のクラスメート・鈴木實さん(中佐/1910-2001・戦後、キングレコード常務)の紹介を得て、広島の進藤邸を訪ねた。

ほんとうはもっと早い時期に紹介されていたのだが、その年の春、当時84歳の進藤さんから鈴木さんへ、

「すまん、庭の柿の木に登って手入れをしてたら枝が折れて落ちてしもうて、あちこち痛うて動けんのじゃ」

と断りの電話があり、回復の頃合いを見て、こんどは鈴木さんから電話をかけると、

「うちの敷地にマンホールがあってな。工事で蓋が開いてるのを忘れて穴に落ちて……。両腕が引っかかったんで助かったが、肩が痛うて」

といった具合に、延び延びになってしまったのだ。二度めの電話のとき、私は鈴木さんの横で電話のやりとりを聞いていたのだが、

「進藤、貴様は昔からよく落ちるなあ。もういい大人なんだから、気をつけて行動してくれよ」

と、鈴木さんが半ば呆れ、半ば心配したような声で話していたのを憶えている。

SPONSORED