北条時政と大庭景親の罵り合いに見る、当時の「現金」な主従関係

歴史家が見る『鎌倉殿の13人』第5話
「御恩と奉公」という言葉があるように、中世の武士といえば、強い主従関係で結ばれているというイメージを抱きがちです。しかし史料を紐解いてみると、鎌倉幕府成立以前の主従の絆は、意外にも脆かったようです。
『頼朝と義時』(講談社現代新書)の著者で日本中世史が専門の歴史学者・呉座勇一氏が、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第5回「兄との約束」について、専門家の視点から見たみどころを解説します。

第1回:いよいよ放送開始!『鎌倉殿の13人』第1話を歴史学者はどう観たか
第2回:仲が悪いけど実は〇〇〇!?伊東祐親と工藤祐経の複雑すぎる関係
第3回:源平合戦の幕開け! なぜ以仁王と源頼政は挙兵するに至ったのか?
第4回:頼朝軍の最初のターゲット! 山木兼隆と堤信遠って何者??

『鎌倉殿の13人』の第5話では、山木邸討ち入りから石橋山合戦までの怒涛の展開が描かれた。主人公の北条義時は初めて体験する合戦の恐怖の中でも己を見失わず、少しずつ成長していく。歴史学の観点から、第5話のポイントを解説する。

頼朝の戦略

激闘の末、山木兼隆を討ち取った源頼朝は、2日後の8月19日、最初の行政命令を発する(『吾妻鏡』)。以下に紹介しよう。「蒲屋御厨(かばやのみくりや)の住民らに命ずる。早く史大夫(しのたゆう)の中原知親(ともちか)の奉行を停止せよ。東国では、全ての国の荘園・公領はみな頼朝様の支配下に置かれると、以仁王の令旨に書かれている。住民らはそのことを理解し、安心しなさい。頼朝様のご命令をこのように伝える」と。

中原知親は山木兼隆の親戚である。史大夫とは、朝廷の弁官局で史官という事務官を務めた後、五位(大夫)に昇叙した者を指す。つまり、もとは朝廷の下級官人だった人である。山木兼隆は武士なので、文書行政は不得手である。そこで親戚で行政事務に通じた文士(文筆に長けた吏僚)の中原知親を招いたのだろう。

上の命令は、知親の領地である伊豆国蒲屋御厨(現在の静岡県下田市)を没収するという内容だ。劇中でも描かれていたように、敵方所領を没収し味方に配ることで支持を集めるという頼朝軍の基本方針は当初から確立していた。頼朝は決して闇雲に京都を目指してはいなかったのだ。

伊豆国周辺地図〈坂井孝一『鎌倉殿と執権北条氏』(NHK出版)などを基に編集部作成〉

ところで、「東国では、全ての国の荘園・公領はみな頼朝様の支配下に置かれると、以仁王の令旨に書かれている」と頼朝勢力は言っているが、『吾妻鏡』に収録されている以仁王の令旨にはそのようなことは書いていない。以仁王令旨は「東海・東山・北陸三道諸国の源氏ならびに群兵等」に対し「清盛法師並びに従類反逆の輩」の討伐を命じている。したがって、以仁王令旨に応じた頼朝が平家に味方する者を討伐し、その所領を没収することは正当化される。ここから拡大解釈して、頼朝は以仁王から東国支配権を認められた、と主張したのだろう。

頼朝の戦略は、早急に上洛して平家を討つことではなく、東国に地盤を築くことだった。そして伊豆目代の山木兼隆を討ち、伊豆国の行政の担い手である中原知親の所領を奪ったことから分かるように、まずは伊豆国を根拠地にする予定だったと考えられる。

しかし、この計画は早々に変更を余儀なくされる。頼朝の挙兵が事前に発覚してしまったこともあり、平家方の対応が頼朝の想定よりも迅速だったからだ。頼朝が近隣の武士を集めて伊豆を掌握する前に、東国における平家家人のとりまとめ役である大庭景親が頼朝討伐のために動きはじめていた。頼朝と北条氏は相模の三浦氏と合流するため、伊豆を離れざるを得なかった。

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