英語と米国にこだわる「カムカムエヴリバディ」が実は日本的なドラマである意外な理由

宝泉 薫 プロフィール

日本人にしか作れないドラマ

ただ、それゆえの難点もある。テンポの激しい変化や英語台詞の多用によるわかりづらさだ。これについて、制作統括の堀之内礼二郎はこんな発言をしている。

「忙しい時間に流れる朝ドラは、何かをしながらでも耳で聞けば分かるように作るべき、という考え方もあります。ただ今作は『ながら見』ではなく、ちゃんと手を止めて見てくれる方を第一優先として、そういう方に恥ずかしくない作品を作ろうとしています。(略)高い年齢層では『英語嫌い』という方も少なくないかもしれませんが、それでもやってみようと、チーム全員で覚悟を決めて挑戦しています」(ENCOUNT)

なるほどと思わなくもないものの、同時に、そこまでこだわらなくても、という気持ちにもなる。なぜなら、実際のところ、日米の文化はもうかなり融合してしまっているからだ。

たとえば、前出の「アイ・ヘイト・ユー」という台詞など、かつてはもっと説明が要るものだったはず。しかし、今や「ヘイト」は世界共通の言葉になりつつある。

日本の歴史を見ても、黒船来航を機に米国文化の流入は始まり、戦後はそれが一気に加速。この朝ドラにも登場する「カムカム英語」ことNHKラジオの「英語会話」もそこにひと役買ったわけだ。ただ、今世紀に入ると、それも落ち着き、若い世代になればなるほど、米国を特別視していない印象もある。

 

そこで思い出されるのが、1971年に荒木一郎が発表した「僕は君と一緒にロックランドにいるのだ」という怪作。荒木は朝ドラの雛型となったドラマ「バス通り裏」で俳優デビューしたあと、歌手として数々のヒット曲を出したが、この怪作では日米の関係を男女の性交になぞらえ「一晩中咳をしていて僕達を眠らせないアメリカよ」と歌った。この感覚がピンとくるかどうかは、世代によって大きく分かれるだろう。

つまり「カムカム」のこだわりもちょっと古い気がしてしまうのだ。が、NHKにはこういうものを一種の使命感でやっているようなふしも見てとれる。84年に大河ドラマとして初めて近現代を扱った「山河燃ゆ」も日系米国人たちの葛藤を描くものだった。新たな試みをするとき、日米関係にこだわってしまうのは、終戦直後、NHKがGHQの介入のもと、再出発したことが影響しているのだろうか。

そのあたりがなんともせつないというか、公共放送がこういう方向性を持ち続けているところに、戦後日本の宿命みたいなものも感じてしまう。そういう意味で「カムカム」は英語や米国にこだわってきた日本人にしか作れないドラマだといえる。

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