2022.01.28
# 性 # 宗教 # 立ち読み

女性蔑視、性的虐待…先進国で「宗教離れ」が進む理由

なぜ宗教は「変われない」のか
仏教が誕生したのは2500年前、キリスト教なら2000年前、イスラム教は1400年前のことだった。ムハンマドと聖徳太子は同時代人である。それぞれの宗教が生まれた時代といまとでは、生活スタイルのみならず、性に対する考え方も大きく変わったのに、なぜ宗教は変わることができないのか。『性(セックス)と宗教』(講談社現代新書)の著者で宗教学者の島田裕巳氏による論考。

宗教の起源を性欲に求めるフロイト

19世紀の終わりから20世紀のはじめにかけて、宗教の起源ということがさかんに問われました。そのなかで、興味深い事例となるのが、精神分析学を開拓したフロイトの説です。フロイトの学説としては「エディプス・コンプレックス」がもっとも名高いのですが、彼はそれを宗教の起源についての探究にも応用しました。

原始社会においては、強力な父親が女たちを独占していました。そこで子どもたちは一致団結し、父親を殺して女たちを解放し、自分たちの妻とします。しかし、子どもたちは父殺しを後悔するようになり、殺した父をトーテムとして崇めるようになりました。それが宗教の起源だというのです。

こうした出来事が実際に起こったとは考えられませんが、フロイトが宗教の起源を説こうとする際に、若い男性たちの性欲を持ち出したことは示唆的です。人間が生物である以上、性欲が高まるのは必然的なことです。しかも、人間の性欲は発情期に限られるものではありません。そこに性欲をいかにコントロールするかという課題が生まれ、宗教がその面で重要な役割を果たすことになったのです。

しかし、性が戒められたとしても、それで性欲が消えてしまうわけではありません。仏教やキリスト教では、聖職者に独身であることが求められるわけですが、それが厳格に守られてきたというわけではありません。その点については拙著『性(セックス)と宗教』の中でふれましたし、現代では、カトリック教会の聖職者による性的虐待が深刻な問題として取り上げられるようになってきました。

日本では、明治になって僧侶の妻帯が法的に認められ、それが広まりました。そのために、カトリック教会とは異なり、性的虐待が深刻な問題として浮上することはなかった半面、今でも僧侶が妻帯することのない他の仏教国から見たとき、日本の僧侶のほとんどは破戒僧であると見なされることになります。

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現代は、さまざまな点で刺激の強い社会です。ファッションにおいてセクシーさが強調されるように、性的な刺激によって消費を喚起するということが日常的に行われています。ネットを使えば、性欲を刺激する情報にいくらでもアクセスできます。

そうした社会のなかで、禁欲的な生活を送ることは容易ではありません。外界と遮断された神聖な領域に引き籠もっているのなら、それも可能かもしれません。カトリックの女子修道院などは、かつてはそうした場になっていました。

ところが、1960年代のはじめに開かれた第2バチカン公会議以降、修道女に対しても、外の社会にふれ、そこで活動を展開するよう方針が転換されました。聖域に閉じこもっているわけにはいかなくなったのです。神父ともなれば、日常的に信者と接触しているわけで、社会の動向にはどうしても影響されます。

タイのテーラワーダ仏教の僧侶の場合には、女性の姿を見ないように扇で視界を遮るといいます。だが、カトリックの神父の場合、ミサで聖体を女性信者にも授けるので、そんなことをするわけにもいきません。

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