こういうあたりから「頼朝の孤独」というものを強く感じられた1冊でもある。
俗説や、通説なども紹介するが、根拠を出してその可能性をつぶし、でもなぜそういう俗説が出て来たかという背景を説明してくれる。いちいち腑に落ちる。
たとえば源義経の「鵯越の逆落とし」については、戦略的な意味がないとして伝説であるとするが、屋島の合戦では義経の奇襲によって平家軍を駆逐したさまを描写する。
ただ暴風雨をついた渡海という劇的なシーンは否定し、義経はかなり用意周到は事前の準備をしていたはずだと指摘して、かえってリアルな義経の姿勢に感心してしまった。
軍記ものの劇的な描写にも触れながら、でも現実はたぶんこんな戦いだったはずだと示されている。
読めば知的な爽快感に満ちてくる。
朝廷と幕府の関係
また古来からの「公武対立史観」から離れて、冷静に歴史を見るように促している。
公武対立、つまり貴族社会と武家社会を対立勢力ととらえ、「退廃堕落した貴族社会を、質実剛健な武家が打ち破った」とするのが、古来好まれてきた「公武対立」の物語である。
ただ、現実はそんな劇的な変化ではなかっただろうという視点である。
言われてみれば、それもそうだ、と強く得心する。
源頼朝がその晩年、娘(大姫)を天皇家に入内させようとしたことや、源実朝が朝廷内での位階を異様なスピードで駆け上がっていったことなどをもって、彼ら「武家」の代表者が「公家」社会に取り込まれて軟弱化していったと説明されることが多かった。
それは質実剛健なる北条氏の支配を正当化する目的もあった歴史観であり、もうすこし平板に見たほうがいいと本書では述べられている。