永田町激震…!「影の女傑」加藤勝信前官房長官の義母が急逝していた

加藤氏を「首相候補」に引き上げた女性

「安倍最側近」の妻として

世間にはあまり名前を知られていないものの、永田町では知名度抜群の「女傑」が昨年末、84歳でひっそりと息を引き取っていた。だが、年明けになっても永田町関係者の間でその事実を知る者は少ない。

亡くなったのは加藤睦子(むつこ)氏。15年前に死去した加藤六月元自民党政調会長(元農林水産相、元国土庁長官)の未亡人で、加藤勝信前官房長官の義母だ。

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岡山県議の娘として生まれ、加藤六月氏と結婚した睦子氏の名前が、永田町で人口に膾炙するようになったのは、1990年代初頭の海部内閣の頃だった。当時の政界は、圧倒的な最大派閥だった竹下派=経世会の全盛期。「金竹小(こんちくしょう)」と呼ばれた金丸信経世会会長、竹下登元首相、小沢一郎自民党幹事長の3人が、首相を誰にするかをはじめ永田町の全てを決定していたと言っても過言ではない時代だった。

その頃、宏池会=宮沢派と第2派閥の座を争っていた安倍派=清和会では、領袖の安倍晋太郎元幹事長が病身ながら竹下派との連携によって首相の座を目指していた。その安倍派で「四天王」と呼ばれた4人の安倍側近の一人で、安倍氏に最も頼りにされていたのが加藤六月氏だった。

「安倍派四天王」とは、加藤氏の他、塩川正十郎氏、三塚博氏、森喜朗氏。4人は交代で派閥の事務総長を務めたが、晋太郎氏の次男で父親の秘書を務めていた安倍晋三元首相は後に当時を振り返り、「親父は当時、四天王の中では森さんなどよりも加藤さんを最も頼りにしていたね」と語っている。
 
その加藤氏の夫人の睦子氏がなぜこの頃、永田町で有名になったかといえば、他の有力者の夫人と緊密な関係を築いたためだ。

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