岸田内閣「新しい資本主義」が話題の一方、多くの人が誤解している「資本主義とは何か」

岸田内閣が「新しい資本主義」というキャッチフレーズを掲げたこともあり、資本主義をめぐる議論が活発になっている。

振り返ればしばらく前から、資本主義のあり方について様々な論議がなされていた。格差をめぐる諸問題や、地球温暖化など環境問題との関わりなどがその主たる話題であり、そうした状況を受けて、資本主義の“存続”と“終焉”をめぐる議論が行われるとともに、関連してSDGs、脱成長、持続可能性等々に関する話題が多方面で論じられてきたのである(私自身も2015年に『ポスト資本主義 科学・人間・社会』(岩波新書)という本を出している)。

しかしながら、私が見るに、この種の議論、特に資本主義の「存否」をめぐる議論は、大抵の場合、不毛な対立や空回りに終わっていることが多い。

すなわち一方において、資本主義というシステムが終わることは決してないという強固な“資本主義擁護論”があり、他方において、それは最終局面に入っているとか早急に打破すべきという“資本主義終焉論”があり、多くの場合、両者の議論は互いにかみ合わないまますれ違ったり、それぞれ自己満足に終わったりしているのだ。

 

そもそも「資本主義」とは何なのか

なぜか? もっとも大きな理由は、多くの論者が、「そもそも資本主義とは何か」という資本主義の定義自体を曖昧なままにして、あるいは不正確な理解のままで議論を進めているからである。

それらのうち、しばしば見られる典型的な誤認は、「資本主義=市場経済」という理解だろう。

こうした誤認が生じる主たる理由は、「資本主義の反対は社会主義」という発想が基本にあるため、「資本主義=市場経済、社会主義=計画経済(政府による統制経済)」という対比が生じるのだと思われる。

しかしこれは明らかに不正確であり、なぜならおよそ市場というものは古代から存在しており、大きく言えば「都市」の生成とパラレルであって、資本主義よりもはるかに広範な概念だからだ。それはたとえば魚市場での“せり”などに象徴されるもので、それ自体はネガティブなものではない。「市場経済というものを一切認めない」という考え方もありうるが、それは狩猟採集あるいは都市が生成する以前の農耕社会に帰る以外には成立困難だろう。

要するに、市場経済をすべて否定することはできないし、逆に、「だから資本主義は肯定される」とは言えないのである。

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