ムハンマドが残したことばに注目
拙著『性(セックス)と宗教』でふれたイスラム教のスンナ(預言者ムハンマドの残したことばや行動を伝えるもの)には、注目されるものがあります。「婚姻の書」のなかに、次のような伝承があります。
この伝承からすると、ムハンマドは、処女との結婚をより好ましいものとしていたことになります。ムハンマドがいったい何人の妻と結婚したのかについてははっきりしないところがありますが、最初の妻であるハディージャは15歳年上の寡婦で、処女ではありませんでした。
これに対し、最愛の妻とされるアーイシャは処女でした。
「婚姻の書」では、「アーイシャによると、彼女は6歳のとき預言者に嫁ぎ、9歳のとき正式に結婚し、9年間共に暮らした、という」(同)とあります。正式に結婚したという箇所には、訳者が「実際に性的交渉をもつこと」という注釈を施しています。
このためイスラム法では、女性は9歳で結婚が可能だとされています。アーイシャが9歳のとき、ムハンマドは56歳でした。
このアーイシャとの結婚については、別の伝承があります。それは、イブン・アビー・ムライカによると、「イブン・アッバースはアーイシャに『預言者はあなた以外に処女を娶らなかった』と言った」(同)というものです。
2001年に起こったアメリカでの同時多発テロの首謀者とされたウサーマ・ブン・ラーディン(オサーマ・ビン・ラーデン)の出したものに、「二聖モスクの地を占領するアメリカ人に対するジハード宣言」というものがあるのですが、そこでは殉教者たちは天国に召され、「72人の純粋なる楽園の処女たちと結婚」できるとされています。
アフマドとティルミジーによって伝えられたとされるこの宣言を紹介した保坂修司はこの部分に注釈を加え、「アブーイーサー・ティルミジー(825~892年)。伝承集、Sunanの編者。引用されたハディースは未確認」としています(「オサーマ・ビン・ラーデンの対米ジハード宣言」『現代の中東』35、2003年7月)。
ここに出てくる「楽園の処女たち」は、アラビア語でフール、ペルシア語でフーリーと呼ばれるものです。このフールについて、14世紀シリアのイスラム教法学者、イブン・カスィールは、『コーラン』の56章35~37節についての注釈において、ムハンマドは、天国で処女と交わることができるかと聞いてきた信者に対して、それは可能で、しかも交わった後、彼女は処女に戻ると答えたとしています。

該当する『コーラン』56章では、「まことに、われらは彼女ら(天女)を創生として(出産によらず)創生した。そして、彼女らを処女となした。熱愛者に、同年齢に(なした)」とあります(『日亜対訳クルアーン』)。これだと意味を理解するのが難しいですが、井筒俊彦訳の岩波文庫版では、同じ箇所が次のように訳されています。
交わった処女が、性交渉の後、処女に戻るということは、具体的には処女膜が再生されることを意味します。ここでは、処女と交わることと、それが幾度にも及ぶことに価値がおかれています。
『コーラン』の第19章は、「マルヤム」と呼ばれています。マルヤムとは、マリアのアラビア語の呼び名です。一方、イエスのほうは「イーサー」と呼ばれます。第19章では、マルヤムがイーサーを産んだときのことについて述べられています。そこでは受胎告知と同じように、マルヤムのもとに天使ジブリールが現れたとされます。
ガブリエルのアラビア語での呼び名であるジブリールは、マルヤムにむかって「私はおまえの主の使徒にほかならず、私がおまえに清純な男児を授けるためである」と言いました。
それに対してマルヤムは「いまに私に男児ができましょう。人(男性)が私に触れたことはなく、私はふしだらであったことはないというのに」と答えています。マルヤムは処女だったわけで、処女のまま身籠もり、出産したとされます。
ここに夫となるはずのヨセフは登場しませんが、福音書の記述がもとになっています。イスラム教には原罪の観念はなく、『性(セックス)と宗教』でも見ているように、性に対する禁忌は存在しません。
そして、処女というものの価値が高く評価されています。もちろんそれは、男性にとってのことで、女性の側からすれば、とらえ方はまったく異なるでしょう。その点はまた別に論じる必要があります。