2022.01.17
# 社会

「格差はなくせる」は虚妄である

『格差という虚構』著者に聞く

『格差という虚構』という刺激的なタイトルの著作がちくま新書から刊行された。
この本は「格差など存在しない」と主張しているわけではない。「格差自体はあり、それに対して人々が不満を抱いている。しかし、格差の根拠とされているものや、『格差はなくせる』という考え方が虚構である」と論じる。

1.格差を生み出すもの、あるいは正当化する理屈としてしばしば「能力」が持ち出されるが、その能力を生み出す「遺伝」も「環境」も本人にはどうにもできないこと(外因)で決まっている

2.人間は他者との比較を通してアイデンティティを育む。したがって比較が生み出す「差」のない社会に人間は生きられず、ヒトはなんらかの格差を望んでおり、格差を解消しようとする運動にはキリがない

3.格差是正に際して「平等をめざす」と言われ、政治哲学では平等の根拠を普遍的な価値に求めるが、普遍的価値など存在しない。どんな分配が正しいのかという「平等」概念自体が近代という特殊な思考枠の産物にすぎない。どんな価値観も各社会・時代の恣意にゆだねられてしまう

おおよそこうした議論を展開する同書に対して読み手が抱くであろう疑問について、著者である社会心理学者・小坂井敏晶氏に訊いた。

[PHOTO]iStock
 

「貧富の格差が能力格差を再生産するから是正せよ」――では遺伝による差に対しては?

――経済的な格差を生み出すものとして個々人が持つ「能力」が持ち出されることがありますが、能力によって得られる金銭が変わるという考え、「能力」概念自体に小坂井さんは疑義を呈されていますよね。

小坂井 イチローや大谷翔平の身体能力が高いことを疑う人はいません。その恵まれた能力ゆえに高い年俸を得ていると思われている。では彼らの走力・動体視力・遠投距離などを調べればヒットやホームランが何本打てるかがわかるか? わかりません。試合では相手がいるからです。

つまり、身体能力を調べてもどういう結果が出るかはわからない。他の仕事も同様です。他者との不確定な関係において成り立っているにもかかわらず、われわれが「あの人は能力が高い。だから成功した」と思うときには、実際に出した「結果」から逆算して言っているにすぎない。特定の能力が測定可能かどうかと、実際に「その能力が高いからこの結果が出た」かどうかは別の話です。

――ある人が高い報酬を得て、別のある人が最低賃金で働いていることの根拠に特定の能力を持ち出しても、測定できる物差しで見たにすぎず、本当にそうかはわからない、と。ただ「能力の違い、努力の違いが貧富の差を生む」という考え方に対して、教育社会学は「家庭の貧富の差によって能力の違いが生じる、再生産される」と批判してきたわけですよね。

小坂井 教育社会学は基本的に環境論です。金持ちに生まれるだけで高偏差値の学校に行きやすくなる、だから是正しないといけない、と。そこまではいい。しかし、仮にすべての子どもの環境を一定に揃えられたとしても、残った能力の差――つまり遺伝と偶然が生み出す貧富の差については認めていいのかについては踏み込まない。

「格差が大きすぎる。縮小する必要がある」と言う人はいても「完全になくせ」「みんな同じ所得にしろ」と言う人はほとんどいません。なぜか。「個人の持って生まれた能力差があるから、その差については認めないといけない」と。しかし、この考え方は遺伝も外因であることに気づいていない。

すべての人間は、遺伝子を持った受精卵として始まり、遺伝と環境の相互作用を通して発達していきます。生まれたあとどれだけ本人が努力するか次第だ、などと言う人がいますが、本人が努力できる能力を持つかかどうか自体が遺伝と環境によって決まる。

遺伝子こそが「本当の自分」であるかのように語る論者もいるけれども、本人が自分の受精卵をコントロールできるわけではないのだから遺伝も外因、偶然の産物です。親から受け継いだものも、家庭や学校といった環境も、いずれも当人にはどうにもできない。どちらもくじ引きの結果です。なぜ同じ「本人にはどうにもできないこと」なのに環境要因は是正する必要があると言い、遺伝要因については触れないのか。

「遺伝による差に関しても是正せよ」となれば、「個人の能力差を認め、それによって生じる格差を容認する」というメリトクラシーの前提が崩壊します。結局、どのくらい何をすればいいのか? そうした「正しい格差」「あるべき格差」について教育社会学は踏み込めません。

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