母親の数だけそれぞれの事情や背景がある

「私は、よく考えもせず、羊水検査を受けてしまった」
その思いは、大竹さんに「私には、次の子を望む資格はない」という気持ちを抱かせた。
そんな折に実母が倒れ、命を継いでいきたいという思いから次の子どもを妊娠したこともあったが、この子もまもなく流産してしまった。

あまり大きな葛藤もないまま、大竹さんは自然に妊活をやめた。43歳になっていた大竹さんは、社会復帰を考え始めた。妊娠前のキャリアを生かして、何か、誰かに笑顔や温かい気持ちを与えられるような仕事がしたかった。

大竹さんは今、大阪府東大阪市の女性とママのための複合サロン「ピッコラ・ファミリア~小さな家族」を拠点に、子どもがいる母親、子どもを亡くした母親の双方それぞれが集える居場所を作っている。子どもを亡くした人を排除しないように「親」という言葉は使わず「女性とママ」とした。地元の神社が社会貢献事業として始めたサロンで、大竹さんはここに立ち上げからかかわってきた。

そんな活動の中で、大竹さんは、グリーフケアに熱い情熱をもった助産師の遠藤佑子さんと出会った。意気投合した2人は、流産・死産・新生児死を経験した母親たちの声なき声を病院や国・自治体へ届けるために「周産期グリーフケアはちどりプロジェクト」を始めた。

社会復帰をした大竹さんは、同じ夢を追えるパートナー・遠藤佑子助産師(右)に出会った。この写真は公益財団法人JR西日本あんしん社会財団の助成が決まった際に撮影 写真提供/大竹麻美
-AD-

赤ちゃんを亡くした母親たちについて、大竹さんや遠藤さんは、その死の背景を問わない。自然死産であっても、人工妊娠中絶であっても、また、ダウン症候群が出生前検査でわかったために産むことを断念した母親であっても、大竹さんたちは分け隔てなく迎える。

そこには、母親の数だけ違うそれぞれの事情と、深い物語があるからだ――赤ちゃんの死の前にも、あとにも。
 

サロンに通う女性と大竹さん。女性はさまざまな思いを超えて最近次の子を出産した。死産の後の妊娠で生まれた子は「レインボー・ベビー」と呼ばれる 写真提供/大竹麻美