2022.01.16
# 週刊現代

「忠臣蔵」「桜田門外の変」一族の子孫たちが激白する、歴史を変えた「あの大事件」の真相

週刊現代 プロフィール

松の廊下の刃傷後、徳川幕府は浅野内匠頭に即日切腹を命じ、吉良上野介にも聞き取りをしませんでした。あえてしなかったのでは、とも思います。上杉家に残る報告書にも傷の治療方法や将軍からの見舞いの到来記録などは残っているのですが、上野介本人は原因について口をつぐんでいる。

自分が何か言い訳をしたら上杉家に迷惑がかかると思ったのかもしれません。

 

梶原:赤穂事件も桜田門外の変も本来は幕府の体制に問題があったのに、個人の問題に矮小化され、結果として吉良上野介も井伊直弼も犠牲になった。気の毒としか言いようがありません。

上杉:どうも上杉家は、常に敗者の側にいる家なんですよね(笑)。初代・重房は建長4(1252)年に鎌倉に下って武士となるのですが、公家だった祖父は保元の乱で崇徳上皇側だったし、父は承久の乱で後鳥羽上皇側についています。

井伊:家康公は関ヶ原直前、上杉攻めに向かっていたわけですしね。

ただ井伊家は、そこまでして徳川家に尽くしたから戊辰戦争で幕府側にいたと思われがちなんですが、実は最終局面では新政府側につきました。

彦根藩は直弼死後、10万石の所領と京都守護の役割も取りあげられていましたし、15代将軍は直弼と対立した徳川慶喜でしたし、無理からぬことだと思います。

梶原:井伊家に代わって京都守護職を務めた会津藩には梶原景時の子孫がいました。会津若松城に籠城し、降伏開城した家老・梶原平馬です。

歴史は勝者の歴史であるという言葉がありますが、悪役の子孫である私たちは同時に敗者の子孫でもあります。敗者側から歴史を見てみることで、真実の姿がわかるものだという気がしますね。

梶原等(かじわら・ひとし)1948年生まれ。弁護士、梶原景時公顕彰会・名誉顧問。梶原景時の八男・景則の子孫

上杉孝久(うえすぎ・たかひさ)1952年生まれ。日本食文化会議理事長。上杉子爵家9代当主。吉良上野介の長男・上杉綱憲の子孫

井伊直岳(いい・なおたけ)1969年生まれ。彦根市職員、彦根城博物館館長。彦根藩主井伊家18代当主

『週刊現代』2021年12月25日・2022年1月1日号より

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