2022.01.16
# 週刊現代

「忠臣蔵」「桜田門外の変」一族の子孫たちが激白する、歴史を変えた「あの大事件」の真相

週刊現代 プロフィール

梶原:私は梶原景時は、皇国史観の犠牲者だと思っているんです。戦前の日本で、景時は源頼朝と共に朝廷から独立して武士の世の中を作ろうとしたとんでもないヤツ、として悪役にされてしまった。

いっぽう善玉役の源義経は、後白河法皇の言いなりでしたから、非常に高く評価された。実際、皇国史観の旗振り役だった東京帝大名誉教授の黒板勝美氏が、景時を徹底的にけなし、義経を褒めあげました。

景時と義経は19歳も年が離れているし、喧嘩するような間柄とは思えません。仲が悪かったのではなく、実はずっと心配していたのではないかと思うのです。

上杉:たしかに軍記物では義経は英雄とされていますが、頼朝に反旗を翻した時、坂東の武士はほとんど誰も味方につきませんでしたね。

我が家はいつも敗者側

梶原:冷酷なイメージで語られる景時ですが、諏訪大社下社の神官が処刑されるところを助命したこともあります。

我が家は景時の八男・景則の子孫と伝わっていますが、景時が長男・景季らと共に滅ぼされた時、甲斐国に赴いていた景則は追討されず、土着することができた。諏訪には景時の梶原塚が建てられているほどで、恩義を感じる人も少なくなかったのでしょう。

 

石橋山の戦いで窮地に陥った頼朝を逃がし、その後、御家人筆頭に就任した景時は、鎌倉幕府という新体制を頼朝と共に作り上げた最大の功労者でした。

そんな景時が、頼朝の妻・政子の実家である北条家からしたら目障りで仕方なかった。景時の失脚は、頼朝没後最初の一族追放です。三谷幸喜さんが大河ドラマでそんな景時のキャラクターをちゃんと書いてくれればいいんですが。

上杉:吉良上野介も地元の三河・吉良町では赤馬に乗って領地を巡察し、民の暮らしに気を配った名君だったという伝承が残っています。

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