2022.01.16
# 週刊現代

「忠臣蔵」「桜田門外の変」一族の子孫たちが激白する、歴史を変えた「あの大事件」の真相

週刊現代 プロフィール

井伊:井伊家も、桜田門外の変の時、すぐ国許に一報がもたらされました。

直弼は若い頃から居合を修練し究めました。彼の居合には「保剣」という考え方があります。その場の怒りにまかせて相手を討ったとしても、家を滅ぼしてしまえば負けだというもの。直弼は刀を抜かないことで、武名を守り、大局的な勝利を得るのを目指したのです。

上杉:まさに武芸の達人の言葉ですね。かっとして刀を抜いた浅野内匠頭とは正反対です。

井伊:事件後、家中には主君の敵を討つべしという強硬派もいたはずですが、直弼の思いを家臣も理解して耐えたのではないでしょうか。

多くの彦根藩士が江戸に向かいますが、結果的に暴発するようなことはありませんでした。その意味では藩全体として冷静な判断をしたと言えると思います。

 

上杉::上杉家も井伊家も個人の気持ちより家の存続を最優先した。

梶原:きわめてインテリ的というか、文化人的ですね。吉良上野介は教養高い高家筆頭、井伊直弼は茶人としても有名です。

じつは梶原景時も鎌倉武士には珍しい文化人でした。荒くれ者ばかりだった坂東武者の中、景時は和歌の素養がありました。源頼朝に和歌を教えたのは景時であるという説もあります。

上杉:綱憲の忍耐のおかげで上杉家はどうにか赤穂事件を乗り切ります。しかし、吉良家に対する幕府の態度は冷酷でした。

吉良義周は討ち入り当夜、自ら刀をとって赤穂浪士たちと戦いますが、額や肩に大怪我を負って気絶してしまった。

報告書によれば、本所・吉良屋敷近くの豆腐屋が異変に気づいて上杉家上屋敷に報じ、明け方に米沢藩士たちが医師を連れて吉良屋敷に向かいました。

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