2022.01.16
# 週刊現代

「忠臣蔵」「桜田門外の変」一族の子孫たちが激白する、歴史を変えた「あの大事件」の真相

前編の「「忠臣蔵」「桜田門外の変」…あの一族の子孫がいまに伝える、驚きの「裏歴史」」に引き続き、歴史に名を残す大事件の真相をその子孫たちが紐解く。

討ち入りの報に「そうか」

上杉:吉良家と上杉家の関係を、もう少し詳しく説明させてください。

吉良上野介の正妻が上杉家から輿入れした三姫です。ところが三姫の兄、米沢藩主の上杉綱勝が子のないまま急逝してしまった。そこで本来ならば吉良家の跡継ぎになるはずだった三姫の長男・綱憲を実家に養子に出して藩取りつぶしをまぬがれたのです。

ですが、今度は吉良家側の跡継ぎがいなくなった。そのため成長した綱憲の次男が、祖父である上野介の養子になって吉良義周と名乗ります。

つまり赤穂浪士討ち入りは、上杉綱憲にとって実の父と息子が襲撃された事件だったのです。

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梶原:弁護士である私から言わせると、赤穂浪士の討ち入りは、凶器準備集合罪、住居侵入および殺人罪で、ただの無法者にしか思えません。

吉良上野介は発端となった松の廊下でも一切刀を抜いていなかった。一方的な暴力事件です。ところが上野介は敵役にされ、上杉家も上野介を庇護する悪の大物とされた。

上杉:ドラマなどでは、討ち入りの一報で綱憲が吉良家に助太刀を出そうとします。そこで忠義の家臣が「上杉家のためです、お留まりください」と諫めるシーンがよくありました。ですが、これは史実とは違います。

上杉家には討ち入り直後の報告文書が残っており、それによれば「殿はお顔色も変えず『そうか』とおっしゃるのみだった」とある。

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