2022.01.16
# 週刊現代

「忠臣蔵」「桜田門外の変」…あの一族の子孫がいまに伝える、驚きの裏歴史

義経に抜け駆けされて逆恨み、浅野内匠頭にいやがらせ、無実の吉田松陰を死刑に……。そんなレッテルを貼られて「歴史の憎まれ役」になったご先祖さま。子孫たちが、汚名返上とばかりに語り尽くした。

事実を言っただけなのに

上杉:年の瀬になると恒例行事として、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』が上演されたり、赤穂事件の映画や関連番組が放送されます。

ということは、私のご先祖である吉良上野介義央が討ち入りで命を落とすシーンが出てくるわけで、討ち入りの日である12月14日近くになると、講演などに呼ばれたりして忙しい反面、複雑な心境でもあります。

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梶原:上杉さんは吉良上野介の長男である米沢藩主・上杉綱憲の子孫にあたるのですね?

上杉:はい。私は綱憲の四男を藩祖とする米沢新田藩の9代当主です。子供の頃から「我が家は吉良上野介の子孫だ」と言われて育ちました。

私が学習院の高等科に入った時、生物担当教員が広島藩・浅野本家のご当主だったため、初対面で「俺とお前は敵同士だからな」と冗談めかして言われましたね。

梶原:私の祖先である鎌倉武士の梶原景時は、源頼朝死後、2代将軍の源頼家に讒言をしたとして鎌倉を追放され、正治2(1200)年1月20日に一族もろとも滅ぼされます。学術的には「梶原景時の変」と言われる出来事です。

讒言と言いますが、頼家を廃して弟・実朝を擁立する動きがある、という報告内容だったのです。

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