このとき、アメリカ人女性記者に喋ってるなかで、説明を加えていて、自分でもそうなんだなとおもったのは「講談師」のことである(記事には書かれていない)。
いま「講談」には女性演者がすごく多い。落語と大きく違う。
女性講談師を中心とした復活
もとより講談は落語とかなり隣接した演芸である。
かつては「落語の寄席」とはべつに「講談だけを聞かせる寄席」があり、講釈場(略して釈場)と呼ばれていたが、いまはなくなってしまった。
そのため、いまの講談師の幾人かは落語の協会に所属し、落語の寄席に出ている。
神田伯山は人気で、彼が出る寄席はよく満員になっている。
(以下、表記のなかで講釈/講談と表記しているが、同じことを指している)
講談は、いっとき、消滅しかけていた。講釈師の数がおそろしく減ったからだ。
でもいまは女性講談師を中心として、いくばくか復活している。
講談の分野では、なぜ女性が多いのだろうか。
講談を活字にして講談本を売り、そこから講談社は大きくなっていった。つまり昔は「講談」は大人気だったのだ。
講談が人気だったのは、日本の歴史(英雄譚)を学べるし、また「手に汗握るドラマ展開」があったからだろう。徳川さまの時代から人気であり、時に禁制に触れ、その語った内容によって捕まった講談師もたくさんいた。
明治に入っても人気は衰えなかった。
ただその人気は「19世紀」がピークだったと見てよいだろう。
20世紀に入ると、いろんな「新しいもの」に追いやられて、すたれてしまった。