朝日新聞を愛した息子はなぜ命を絶ったのか 父が組合機関紙で書いたこと

【後編】33歳の記者は自殺した
現代ビジネス編集部

「いまは辛くて読めない」

2021年12月25日、朝日新聞は6年前に大手広告代理店「電通」で過労死に追い込まれた、高橋まつりさんについて〈若者や女性の自殺増、国が対策を 高橋まつりさん母が命日に手記〉と記事を出している。しかし、朝日新聞はどうなのか? A記者の「死」の調査について、紙面で記事を見かけることはない。

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組合機関紙「本部広報59号」に、A記者のお父さんは寄稿は掲載された。ジャーナリストとして息子の成長を温かい眼差しでみつめ、それを生きがいにしていた、あふれんばかりの愛情が感じられる。一方で、会社側からの回答については〈2ヵ月たつ現時点に至っても、ほとんど何の情報もなく朝日新聞のほうからは「調査中」という言葉しかない〉と不信感が随所に、にじみでている。A記者の「死」の無念さが凝縮されている。

〈東日本大震災の年に入社し、この10年間一生懸命取材し、数多くの記事を書いてきました、私は、そのAの記事を全てプリントアウトして保存してあります。今年になり、Aは友人に私が全ての記事をプリントアウトしてファイリングしていることを「とても嬉しい」ということを言っていることを聞きました。しかし、今は辛くてそれらを読むことができません。
 
熊本では、ハンセン病の差別で苦しむ患者さんや家族に寄り添い、数々の取材をして多くの記事を発表しました。被差別部落や在日朝鮮人、水俣病や貧困など差別に苦しむ人々への眼差しは、心優しく、いい記者に、そして優れたジャーナリストになる資質があるな、将来が頼もしいなと思っていました。
 
編集センターでは、夜中の仕事ですが、「どうしたら読者に読みやすい紙面になるか、そして興味をひく正確な見出しについて考えを張りめぐらせていて、読者のことを熱心に考える記者でした」と同僚から聞きました。

Aが記者になるきっかけとなった「朝日小学生新聞」(2018.12.22)にAの記事が一面に載りました。「2019年日本経済の展望」です。自分が小学生の頃に読んでいた新聞に自分の記事が載ったことを素直に喜んで、その新聞と同時に掲載された「朝日小学生新聞」を家に送ってくれました。妻はさっそく額に入れて飾りました〉

組合機関紙への寄稿の末尾はこう結ばれている。

〈Aの遺品の数あるCDの中にショパンの「ピアノ協奏曲(コンチェルト)第1番ホ短調」があり、このところ毎日聴きながらこの文章を書いています。朝日新聞にAという朝日新聞をこよなく愛した新聞記者がいたことを忘れないでください〉

この思いは、朝日新聞上層部に届くのか。

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