33歳で自殺した朝日新聞記者の父親が、同僚に向けて書いた手紙の中身

【前編】朝日が真相を開示する日は来るのか
現代ビジネス編集部

「本当に一生懸命生きたね、立派だよ」

明らかに、職場である朝日新聞を批判する内容である。A記者は、ツイートした翌日、5日は会社に連絡することなく欠勤した。6日朝5時頃、自宅近くで亡くなっているのが発見された。警察の捜査で事件性はなく、自殺と判断された。

Photo by GettyImagesPhoto by GettyImages
 

組合機関紙に書かれたA記者の父親の寄稿を引こう。

〈Aは幼稚園の頃から日記を書き、文章表現を楽しみながら学んでいました。小学校の頃からは「朝日小学生新聞」を毎日読み、多くの図書や雑誌から様々なことに興味を持ち、記者になり、差別や貧困に苦しんでいる人々に寄り添い、ジャーナリストとして真実を報道することを人生の目標としてきました。Aが小学生の頃、私が勤務していた図書館に遊びに来た時のことです。戦時中の新聞記事を示して「戦争は新聞も国のいいなりになってしまったんだよ。気を付けていないと、いつでもこうなってしまうんだよ」と話していたことを思い出します。

この12月の冬に時期になると思い出すことがあります。

Aは小学生の頃、私が勤めていた小さな図書館分館に、時々一人で自転車に乗ってきて、本を読んだりして数時間過ごし、私の仕事を終わるのを待っていました。

仕事が終わるのと、私がAの小さな自転車をひいてAと暗くなった夜道を二人で歩きながら、今日学校であったことや、読んだ本の話をしながら帰りました。時には、小さなチョコをかじりながら学校の宿題やいじめっ子のことなどもちょっと涙しながら話したこともありました。今から思うと、Aは悔しく、さみしかったんだろうと思います。

松本清張原作の映画「砂の器」をAがまだ小さい頃に一緒に観たことがあります。Aはそっと涙を浮かべていました。その映像体験がハンセン病で苦しんでいる人々への眼差しとなっていたと思います。
 
正義感が強く、嫌なこと、おかしなことはみんなの前できちんと発言する。中学校の修学旅行の時には、グループに誘われない子たちをまとめて班を作って出かける優しいリーダーでした。そんなAに「自分の志を高くして人生を歩んでほしい」と生まれた時私は「A」と名付けました。Aは、自分の名に恥じない生き方をしてきたと思います。本当に一生懸命に生きたね。立派だよ。

そんなAとも会うこともできず、話すこともできません〉

前出の同僚はこぶしを震わせて語る。
「A記者は普段、会社の批判や悪口をツイートするようなタイプではない。会社はこのツイートを把握していたはず。そして、5日は無断欠勤ですよ。なぜ、動かなかったのか、静観していたのか? 助かる命を見殺しにしたんじゃないですか」
 
記事の後編では、他社の労働問題や職場環境については熱心に取材するのに、自社のことになると対応が遅い朝日新聞に対する現役社員の怒り、そして息子の記事を丹念にスクラップし、成長を見守っていた父親の無念が明かされる。

関連記事