いじめを知った母の驚きの言葉

そんな中で、母の思いでバレーボールチームに入れられた。少し離れた地区のチームに、同学年の目立つグループ全員が所属していた。そのグループは学校の中でも固まっていたし、チームも強かった。私のチームとは雲泥の差だったが、背が高いと言うだけで有利だった。試合は負けても、何点かは決まることがあった。試合中にやむなく相手の子の顔や体に私のアタックが当たってしまうこともあった。さらに私を殴る母の様子も頻繁にみられていた。そのため「暴力女の子供」「頭叩かれ過ぎてアホ」とバカにされた。

次の日学校で無視されたり、靴を隠されることもあった。授業のグループ分けでは、ハブられてしまうことも多々あった。最初の頃は言い返したこともあった。その様子を見て、また真似してからかわれることが分かってからは、無駄だと悟って何も聞こえないふりをした。あちらも無視するようになった。仲良くしてくれるお友達もいたし、かばってくれるような子もいたけれど、いじめっこ集団の子達に「その子と仲良くするとアホになるよ。暴力がうつる」と言われたり、無言の圧力もあり、彼女たちが来たらスッと話すのをやめて離れていき、だんだん私は孤立していった。

Photo by iStock
-AD-

母に、バレーチームの相手がいじめてくることを訴えたこともある。しかし、母はあの子たちは頑張っているし上手だと、バレーボールの面だけで判断しほめたたえた。当然、親の前ではみんな良い子だった。

そのうち、学校に行っても保健室で過ごすようになった。漠然といなくなりたい、楽になりたい。死ぬと言うことはどういうことなんだろうと保健の先生に相談した。あの時、その先生だけが気付いてくれて味方だった。何度も箱庭を一緒に作った。そこから私がどれだけ寂しくて辛い、苦しんでいて、愛情を欲しているのかを読み取ってくれた。同時に字や絵を描くことを薦めて褒めてくれたり、得意なことを探してくれた。今思えば、殴られたり灸の痕で気づいたかもしれない。

しかし、学期末の通知表に保健室で過ごしていることが書かれた。それは母には逆効果だった。「気持ちの問題。やられたらやり返しなさい。強くなりなさい。負けるのが嫌なら勝ちなさい。○○ちゃんも、△△ちゃんも頑張っている。恥ずかしい。お母さんが小さい時は学校に行きたくてもいけなかった。行けるだけで有り難く思わないといけないのに、甘えるんじゃないの。情けない」と言われ続けた。それからは保健室にも行き辛くなり、家でも学校でも益々孤立した。