いよいよ放送開始!『鎌倉殿の13人』第1話を歴史学者はどう観たか

専門家による最速レビュー
呉座 勇一 プロフィール

北条時政と牧の方の結婚はいつか?

第1話では、北条時政が牧の方(『鎌倉殿の13人』は「りく」という名前をつけている)と再婚するという話も出てきた。時政の後妻である牧の方の出自については、NHK大河ドラマ『草燃える』(1979年)が放送された時期には、まだ不明だった。しかし、その後、杉橋隆夫氏が、牧の方は平忠盛(清盛の父)の正室である藤原宗子(池禅尼)の姪であることを明らかにした。牧の方の父である牧宗親(むねちか)は、池禅尼の息子である平頼盛(清盛の異母弟)の所領である駿河国大岡牧の代官を務めていた。

問題は二人がいつ結婚したのか、である。残念ながら史料が存在しないため、確定することができない。杉橋氏は、保元三年(1158)に時政21歳、牧の方15歳の時に結婚したと推定した。けれども杉橋氏のシミュレーションに従うと、牧の方は46歳の時に政範(義時の異母弟)を出産したことになり、非現実的であるとの批判を受けた。本郷和人氏は、二人の結婚は、治承四年(1180)以降、すなわち頼朝挙兵後と想定した。最近、山本みなみ氏は、二人の結婚時期を引き上げ、頼朝挙兵以前とした。

二人の結婚時期がなぜ重要かというと、北条氏の身分を知る手がかりになり得るからだ。従来、北条氏は伊豆の中小武士、あり体に言えば田舎武士と見られてきた。だが、五位の位階を持つ貴族の家である牧氏出身の牧の方と結婚できたとすると、時政も相応の身分の武士である可能性が出てくる。しかも京都と関係の深い武士であることが想定される。最近では北条氏の家格は「伊豆国において一頭地を抜いていた」とする新説が有力視されつつある(岩田慎平『北条義時』中公新書、2021年)。

とはいえ、時政と牧の方の結婚が、頼朝と政子の結婚の後だったとすると、時政が身分の高い武士であることを必ずしも意味しない。身分の高い頼朝を婿に取ったことで時政の身分が上昇したため、高貴な牧の方との結婚が実現したとも考えられるからである。

拙著『頼朝と義時』は、時政の身分は低いという通説に従い、加えて時政と牧の方の結婚は、頼朝と政子の結婚の後であるという理解を採っている。

『鎌倉殿の13人』では、時政・牧の方の結婚の方が、頼朝・政子の結婚よりも早い。だとすると、時政の身分が高いという新説を採用したのかと思いたくなるが、第1話を視聴した限りでは、時政は明らかに粗忽でお調子者の田舎武士として描かれている。私が想像する時政のイメージにはピッタリだが、田舎武士の時政がどうやって牧の方という貴族のお嬢様を射止めたのかが明確に説明されておらず、この点はやや疑問である。牧の方が時政のどの辺りに惹かれたのか、今後のドラマで明らかになっていくだろうか。

 

八重とのロマンスはあったか?

実のところ、頼朝が伊東祐親の三女(八重)と結ばれたという話じたい、歴史的事実かどうかは微妙である。鎌倉幕府の準公式歴史書『吾妻鏡』には、伊東祐親が頼朝を殺そうとした、とのみ記されており、八重の話は出てこない。

ことによると、上述の逸話は、流人頼朝の悲劇性を際立たせるための『曾我物語』の創作かもしれない。伊東祐親は曾我兄弟の祖父にあたり、曾我兄弟の仇討ちを盛り上げるため、祐親と頼朝の確執を強調するために脚色したとも考えられる。

もっとも、北条氏による幕府掌握を正当化する性格を持つ『吾妻鏡』にとって、政子と出会う前に頼朝が愛した女性がいた、という話は不都合である。八重の存在を『吾妻鏡』が抹消した、という可能性も捨てきれない。

いずれにせよ、『鎌倉殿の13人』では八重は重要な役割を果たすようである。頼朝・義時・八重の微妙な三角関係が想像され、続きが気になる。今後のドラマの展開に注目していきたい。

関連記事:武家政治の開拓者、源頼朝と北条義時の実像に迫る

     歴史学者・呉座勇一が深く探究「北条義時は何をしたのか?」

関連記事