2022.01.09

「やたらと“エビデンス”を求める人」と「陰謀論にハマる人」、その意外な共通点

じつは両者は似ているのかもしれない…
松村 一志 プロフィール

では、「エビデンス」という言葉がこれほど広く使われるようになったのは、一体なぜなのか?

一見すると、「エビデンス」の重視は、専門家への信頼の高まりを意味するように思われるかもしれない。だが、私には、むしろ逆のことが起きているように見える。つまり、「エビデンス」の流行は、専門家への信頼の表れではなく、専門家不信の表れなのではないかと思われるのだ。さらに言えば、「エビデンス」を求めすぎる姿勢は、それと対極にあると思われている「陰謀論」とも実は親和的である。

以下では、このことを説明してみたい。

なお、本稿は筆者の近著『エビデンスの社会学——証言の消滅と真理の現在』(松村一志 2021)をもとにしている。書籍の方では、社会学・科学論の最近の成果を踏まえつつ、より大きな見取り図を描いているので、そちらも併せてお読みいただけるとありがたい。

 

「エビデンス」はどこから来たのか?

まずは「エビデンス」という言葉の出自を振り返っておこう。

「エビデンスって何?」と誰かに聞かれたらどう答えるだろうか。この言葉は直訳すると「証拠」や「根拠」の意味になる。しかし、単に「証拠」や「根拠」を意味するだけなら、なにも持って回ったカタカナ語など使わずに、ただ「証拠」や「根拠」と言えば良いはずだ。「エビデンス」という言葉がこれらと違うのは、そこに「科学的証拠」のニュアンスが含まれることである。

この新しい日本語が登場した背景には、1990年代初頭に生まれた「根拠に基づく医療」すなわち「エビデンス・ベースト・メディシン」(Evidence-Based Medicine: EBM)がある。「エビデンス・ベースト・メディシン」とは、医師の経験や生理学的知識ではなく、治療効果の有無を示す実験データをもとに治療方針を決める医療のことだ。これが登場したことで、「エビデンス」という言葉が注目を集めるようになったのである(三省堂編修所編 [2014] 2019: 103; 松村一志 2020: 95-96)。

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