2022.01.08
# 音楽

スピッツが、椎名林檎から受けていた「意外な影響」をご存知ですか?

アジカン、バンプからも影響があった

気鋭の批評家・伏見瞬がスピッツの魅力を「分裂」というキーワードから解き明かす話題書『スピッツ論 「分裂」するポップ・ミュージック』(イースト・プレス)。
日本のポピュラーミュージックのなかで独自の存在感を放ち続けるスピッツは、我々が想像する以上に同時代のミュージシャンから影響を受け、表現に取り入れてきたバンドでもある。同書第3章から一部抜粋・再構成してお届けする。

 

亀田誠治プロデュース

スピッツは《ハヤブサ》の次のアルバムから、亀田誠治をプロデュースに迎える。亀田は椎名林檎の作品アレンジャーとベーシストとして参加し、《無罪モラトリアム》(1999年)、《勝訴ストリップ》(2000年)と2枚のアルバムが続けてミリオンセラーを獲得。一躍、音楽業界で知られる存在となった。椎名林檎は尖ったサウンドと大衆性の両立に成功しており、それはスピッツがずっと目指していたことだった。

《ハヤブサ》は決して売れたアルバムではなく、前作《フェイクファー》の2分の1ほどの約35万枚の売上げだった。《ハチミツ》以来オリジナルアルバムはすべてオリコン1位を獲得していたが、《ハヤブサ》は3位止まりである。

1998年をピークに、音楽業界全体のCD売上げが劇的に落ちはじめる時期とはいえ、2000年の時点では前述の椎名林檎《勝訴ストリップ》をはじめとして、ミリオンセラーアルバムが多数出ていた。売上げを再び伸ばすため、《ハヤブサ》で得た音の感触と大衆的なポップネスを同時に成り立たせるには、亀田誠治は適役の人物だった。

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