大多数の人が「仕事に苦しんでいる」という厳しすぎる現実

ブルシット・ジョブと精神的暴力
酒井 隆史 プロフィール

自由の最高の表現が屈辱に変わるとき

問題は、BSJが、このような遊びに似ているということです。それは仕事のための仕事、ほかに目的のないたわむれでもあるわけです。ところが、人はBSJのそのような要素に怒りをおぼえ、しばしば精神的につらさを抱えている。これはどういうわけでしょうか。これも、ここまで議論されると、すでにこう結論している人も多いとおもいます。

ただ働くことだけのために働くふりを強いられるのは屈辱である。なぜなら、その要求は、自己目的化した純粋な権力行使であると感じられる──正しくも──からである。かりに、演技の遊びが人間の自由のもっとも純粋な表現だとすれば、他者から課された演技的仕事は、自由の欠如のもっとも純粋な表現である(『ブルシット・ジョブ』122ページ)
 

自由の最高の表現である無目的な遊びが、他者から強制されると、それは不自由の最高の表現へと転化するのです。たとえば、奴隷主が奴隷たちに、格闘技をやるように命じます。もし自由にやったらただただ愉快である、たがいに技術や駆け引きをたのしむゲームは、ここでは奴隷主の気まぐれの力の行使にどこまでも従わねばならない、その権力の純粋な発現と服従のあかしになります。

BSJがなぜ、かくも多くの人に精神的暴力として経験されるのか、その理由をグレーバーは、こう分析するのです。

関連記事