閉ざされた村で5人の女性を次々と惨殺…「内臓をえぐり取った男」の「本当の狙い」

穂積 昭雪 プロフィール

しばらくして刑事たちは、「人間の肝(肝臓)」が肺炎や結核などの難病の特効薬、または漢方薬の材料として熊の胃やヤモリの黒焼きなどと同じように高値で売買されていることを知り、犯人は快楽目的の殺人ではなく内臓を売買するために殺害しているのではないか、とする仮説を打ち立てた。

しかし、手口や動機がわかったところで犯人逮捕に至る手がかりは得られず、辰野の町のパニックは収まらなかった。そして、恐ろしい「肝取り」が再び辰野の住民に牙を剥いたのは、5か月後の1907(明治40)年の1月のことであった。

 

「肝取り勝太郎」

1907年(明治39年)1月下旬、48歳の中年女性が行方不明になったことがわかった。

彼女は正月を使い実家へ帰ろうとしたところ消息を絶ち、以来1か月近く見つかっていないのだという。長野山間部である辰野の冬は厳しい。雪山での人探しは一歩間違えたら探すほうも遭難してしまう可能性が高い。

結果、48歳の女性が発見されたのは行方不明から2か月近くが経過した2月下旬のことであった。彼女は町から数km離れた採石場でミイラ化しており、彼女もまた肝が奇麗に抜き取られていたのは言うまでもない。これで一連の肝取り事件の犠牲者は16歳~48歳の5人の女性と乳飲み子の1人を合わせた6人となった。

地元の住民は警察の捜査の遅れを非難し、その結果、上伊那郡の警察署長が更迭される事態にも発展した。ついには「年齢問わず夜間での女性の外出を禁止する」という布令も出されることになった。

ところが、本事件はあっけない最後を迎えることになる。

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