住み込みで働けるモーテル管理人の仕事を見つけたが、売り上げの大半はオーナーの儲けとなる仕組みで、手元に入る収入はわずかだ。オーナーはカネのことに関心はあるが、ミアの一家やモーテルに逗留する人たちの暮らしには、まったくと言っていいほど興味がなかった。
ミアの両親がオーナーから言いがかりのような要求されても、拒否することはできない。移民は仕事を得るのが難しく、オーナーが圧倒的に優位な立場にあるからだ。
「不公平だ」と憤るミアに、母親はこう語りかける。
「わたしたちは移民でしょう。移民の命なんて軽く思われているの」
こうした境遇の中で、ミアは「アメリカン・ドリーム」と現実の矛盾に気付かされる。
「アメリカン・ドリーム」とは、誰にも平等にチャンスが与えられ、努力をすれば報われることだと思っていた。それは移民であろうとも。
でも、実際は違っていた。移民にはチャンスをつかむ機会が十分に与えられず、カネや地位のある白人たちとはスタート地点から同じではなかったのだ。
「米国には2種類のジェットコースターがある」
「移民」という言葉は「黒人」や「貧しい人たち」と置き換えることもできた。
ミアの友人ルーペは、父親から「
一つは金持ち用、もう一つは貧乏人用で、金持ち用のジェットコースターに乗れば子供はいい学校に行けて、将来はたくさん稼ぐことができ、その子供もいい学校へ行けるという仕組みになっていると。

貧乏人用の方に乗れば、貧しさのコースをずっと進み続ける。裕福と貧困の道はそれぞれ交わることなく、ループを描き続けることになる。
これが「自由と民主主義」の米国なのだろうか。
「アメリカン・ドリーム」の理想はどこにいったのか。ミアはそう思ったに違いない。だが、実は「アメリカン・ドリーム」という考え方そのものに、不平等のタネは含まれている。