生命40億年の進化の歴史をもう一度やり直しても人類は誕生するか

ヒトの存在は偶然か必然か
更科 功 プロフィール

グールドの主張にも一理ある

じつは、進化の実験のなかには、アノールの場合とは異なる結果になったものもある。たとえば、ショウジョウバエの実験のなかには、まったく同じ環境であっても、それぞれの集団が別々の方向に進化していくことを示したものもある。これは、自然淘汰とは別の進化のメカニズムである遺伝的浮動が働いた結果と解釈されている。

私たちヒトの場合で考えると、父親も母親も、自分が持っている遺伝子の半分を子に伝える。たとえば、父親が一組の対立遺伝子を持っている場合、その片方だけが子に伝わる。そのとき、どちらの対立遺伝子が子に伝わるかは偶然による。これは母親の場合も同じである。

この、どちらの対立遺伝子が子に伝わるかという偶然の効果によって、遺伝子頻度が変化することを、遺伝的浮動という。このメカニズムが働けば、進化の行き着く先は、自然淘汰によるものとは異なることもあるわけだ。

*遺伝子頻度と遺伝的浮動については、過去回記事〈やっぱり不思議、なぜ生物は進化するのか?〉https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54976 にも詳しい説明があります

それに加えて、よく考えてみると、収斂がしょっちゅうあるからといって、進化が同じ世界に辿り着くとはかぎらないのではないだろうか。

たしかに大きなスケールで考えれば、いつかどこかで収斂が起きるかもしれない。しかし、いつ、どこで、収斂が起きるかも大切なはずだ。たとえば、私たちの背中に昆虫のような翅が生えて、皮膚には植物のような葉緑体があって光合成ができるとしよう。その場合、私たちは日光を浴びるだけでお腹がいっぱいになるので、べつに働く必要はない。晴れた日に野原を自由に飛び回りながら、楽しく遊んでいるだけでいいのである(まあ、これは半分冗談だけれど)。

虫や植物への収斂によってこういう人間が進化した場合でも、進化はいつも同じ世界に辿り着くといえるのだろうか。こういう世界は今の世界とはまったく異なる世界である、と言った方が適切ではないのだろうか。

地球に生物が棲めるのは、おそらくあと10億年ほどである。そのころには、今より太陽が明るくなり、放出するエネルギーも増えて、地球は干からびた灼熱の惑星になっている可能性があるからだ。ということは、生命が誕生したのは約40億年前だから、地球に生物が棲めるのは全部で50億年ぐらいということになる。

私たちヒトは、地球に生物が棲める約50億年間のおよそ8割が経過した時点で、やっと進化した。私たちのような知的生命体が進化するのに、40億年もかかったのだ。万が一、私たちが戦争か何かで絶滅したら、残りの10億年でもう一回進化するのは難しいかもしれない。

さらにいえば、もしも私たちが絶滅したあとで、別の知的生命体が進化したとしても、それは私たちとはまったく異なるものになるのではないだろうか。イルカから進化するか、カラスから進化するか、タコやイカから進化するかわからないけれど、それらが作った文明は、もはや完全な別世界だろう。

生命の歴史のテープをリプレイしたらどうなるか。その場合の進化が行き着く世界には、グールドの言うことが当たっているところも、コンウェイ=モリスの言うことが当たっているところもある、そんな世界ではないだろうか。昨今はずいぶんグールドの旗色が悪いけれども、かつてグールドが言ったように、進化には予測できない面が存在することは確かだと考えられる。

更科功の「一番簡単な進化の講義」 次回は2月7日公開予定です

【写真】進化には予測できない面がある!?進化には予測できない面がある!? photo b gettyimages

関連記事