生命40億年の進化の歴史をもう一度やり直しても人類は誕生するか

ヒトの存在は偶然か必然か
更科 功 プロフィール

進化における収斂

もちろん、グールドに反対する人もいる。その代表がイギリスの古生物学者、サイモン・コンウェイ=モリス(1951〜)だ。

イルカは哺乳類である。サメは魚類である。中生代(2億5200万年前〜6600万年前)に生きていた魚竜は爬虫類である。これらの動物は、系統的にはまったく異なるにもかかわらず、別々に同じような紡錘形の体に進化した。このような現象を収斂(しゅうれん)という。

イルカやサメや魚竜が紡錘形の体を進化させたのは偶然ではない。体の大きい動物が水中を素早く泳ぐためには、紡錘形の体が適しているのだろう。このような物理法則に生物が従わなければならないなら、どのような形に進化するかは決まってくるはずだ。

収斂は珍しいものではない。それどころか、実はありふれた現象である。コウモリは自ら超音波を出して、完全な暗黒下でも蛾などを捕まえることができる。この素晴らしい能力は反響定位と呼ばれるが、イルカでもこの能力が独立に進化している。また、モルミルス科の魚は、電気を使って周囲を見たり仲間とコミュニケーションを取ったりする。この素晴らしい能力も、ギュムノートゥス科の魚で独立に進化している。

【写真】モルミルス科のエレファントノーズフィッシュとギュムノートゥス科のデンキウナギモルミルス科のエレファントノーズフィッシュ(学名Gnathonemus petersii。写真上)と、ギュムノートゥス科のデンキウナギ(学名:Electrophorus electricus) photos by gettyimages

このような超音波や電気を使う複雑な能力でも、収斂が起きているのだから、もっとシンプルな特徴なら、収斂が起きて当然である。事実、生物の特徴のなかで、他の生物とまったく収斂していないものなど、ほとんどないだろう。どんなにユニークに思える特徴であっても、たいてい他の生物でも進化しているものだ。

収斂は自然が行った進化実験

ところで、この収斂という現象は、自然が行った進化の実験といえる。違う場所で別々に進化することは、生命の歴史をリプレイすることと、本質的には同じだからだ。つまり、「収斂がしょっちゅう起きている」という事実は、「生命の歴史をリプレイしても同じような結果になる」ということを、示していると考えられる。

おそらく、生物が取り得るデザインには限りがある。だから、生命の歴史のテープを何回リプレイしても、辿り着く世界はいつも似たようなものになる。そういう意味では、進化は予測可能である。それが、コンウェイ=モリスの考えだ。

さきほど述べた生物学者、ジョナサン・B・ロソスは、ジャマイカ島でアノールというトカゲの研究をした。ジャマイカには数種のアノールが生息しているが、棲んでいる場所によって特徴が異なる。

たとえば、地上によくいる種は、指先のパッドの接着力が弱いが、肢が長くて走るのが速い。いっぽう樹上によくいる種は、肢は短いが、指先のパッドの接着力が強く、木から滅多に落ちない。同じような特徴は、プエルトリコやキューバ、そしてドミニカ共和国のあるイスパニョーラ島に生息するアノールでも確認された。それぞれの島には、よく似た種が同じような組み合わせで生息していたのである。

【写真】アノールアノールトカゲ2態 photos by gettyimages

DNAの解析などから、これらの4つのそれぞれの島内に棲むアノール同士は、他の島に棲むアノール同士より近縁であると推測された。そこで、以下のようなシナリオを描くことができる。

かつてアノールは、それぞれの島へ別々に流れついた。その子孫たちは、それぞれの新天地に適応しながら、進化していった。その結果、ほとんど同じ姿をしたアノールたちを生み出した、つまり同じような世界に辿り着いたのである。

さらにいえば、これらの島々の環境は、ある程度は似ているかもしれないが、まったく同じというわけではない。多少は異なる環境でも、同じ世界に辿り着くのであれば、多少は偶然の出来事が起きても、やはり同じ世界に辿り着く可能性が高いのではないだろうか。ところがロソスは、かならずしもそうは考えていないようだ。ロソスの意見は両者の中間か、あるいはややグールドよりである印象を受ける。

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