2年ぶりに開催される「コミケット」が、これまでに「失ってきたモノ」
「消費社会」に飲み込まれていったコミケットが2年ぶりに帰ってくる
今年の年末には、ついにコミックマーケットが帰ってくる。
たまに一般参加するだけのきわめてライトな参加者にすぎない筆者にとっても、この空白の2年間は、なんとも落ち着かない日々だった。コミケットがない夏と年末。ワクチン接種証明などが必要とされ、参加者が限定されているとはいえ、どうにか開催に漕ぎ着けられたことについては、関係者の多大な努力があったことが推察される。まずは感謝を捧げたい。

ただしそれとは別に、コミケットの再開にかんして、たんに喜ばしいだけではなく、躊躇と疑問が心に湧くことも事実である。コミケットはなぜ、これからも必要なのか。そうした問いに対し、筆者は確信を持って答えられないからである。
コミケットは、好きなものを一緒に楽しむ人たちによって支えられてきた。「その何が悪い?」という意見にはたしかに答えがたい。とはいえ問題は、それだけでは片付かない。なぜかといえば、そもそもコミケットは、そうした意見を疑問視し、それに対抗して始まったという由来を持っているからである。
コミケットはどうして始まったのか?
反対の中心にいたのが、亜庭じゅんである。1975年、それぞれ同人活動をしていた原田央男、亜庭じゅんに、米澤嘉博らが加わるかたちで、コミケットは始動する。なかでも亜庭は鋭い批評を積み重ね、コミケットが何であり、何でなければならないかを定義する、自他ともに認める理論的支柱になった。
そもそもコミケット以前に、漫画ファンが集まる場がなかったわけではない。しかし日本漫画大会や、漫画雑誌のファンの集いなど商業的に組織された場は、出版社の宣伝の場か、ファンの「単なる交流の場」へと落ち、萩尾望都や手塚治虫などの作家を「スター化」し、「祭り上げ」、「麻薬的な恍惚」が味わわれているだけと亜庭は批判していた(「マニア運動体論 序説」迷宮11編『亜庭じゅん大全 A LONG LONG STORY』迷宮11、2011年)。