「バラバラ殺人」を犯した超エリート官僚が、「国民から英雄視された」意外な理由

日本で初めての「バラバラ殺人」の全貌
穂積 昭雪 プロフィール

そして行方不明から数日後、警察から「鈴木弁蔵と思われる老人のバラバラ死体が新潟で見つかった」と家族へ連絡があった。「いったい何故、新潟なんかに」と家族・関係者が驚くなか、バラバラ事件容疑者として目を付けられていた山田憲は「とある場所」へ出かけていた。

 

若きメディア王の推理

ここで意外な有名人が事件に大きく関わることになる。後の読売新聞社社主、日本テレビの創始者、読売ジャイアンツの初代オーナーとして知られる正力松太郎である。

正力松太郎は1885年(明治18年)生まれ。東京帝国大学法科大学卒で、内務省に入省後は警察官僚となった。引責辞職した後は読売新聞の社長となり、警察官僚から一転「実業家」兼「メディア王」に。財政界にも強い影響力を持った「戦後日本の大物」である。

一体なぜ、正力松太郎が「鈴弁事件」とかかわりを持ったのか。それは容疑者・山田憲の突然の訪問であった。

当時、監察官だった正力と農商務省の山田は、高等学校の先輩後輩という仲で、6月8日の早朝、山田はひとりの若い男性を連れて正力に面会を求めたという。

山田は顔を真っ青にしながら「今朝の新聞で新潟のバラバラ事件を知った。その犯人はこの男、渡辺惣蔵である。被害者は行方不明中の鈴木弁蔵だ。渡辺は口論の末に鈴弁を殺し、私の部屋のトランクを持ち出し、死体を詰めて川へ投げ込んだ。今朝はじめて知り、彼を満州まで逃がしたいので協力してほしい」と正力に願い出たのである。

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