「バラバラ殺人」を犯した超エリート官僚が、「国民から英雄視された」意外な理由

日本で初めての「バラバラ殺人」の全貌

1919年6月、新潟の信濃川に漂着したトランクからバラバラの遺体が見つかった。捜査線上に浮かび上がってきたのは、農商務省に勤めるエリート官僚・山田憲という男だった。

【前編】「川岸のトランクから胴体と腕が…超エリート官僚が起こした「バラバラ殺人」の恐るべき全貌

ズル弁

新潟県でバラバラ死体が発見され騒動になっている頃、数百km離れた神奈川県横浜市では、とある富豪が突如行方をくらまし騒がれていた。

行方不明になったのは横浜市内で米問屋を営む商人・鈴木弁蔵である。鈴木は「鈴弁商店」という自分の名前の付けた米問屋(米を買い付け販売すること)を経営。横浜の本店のほか東京深川(江東区)にも支店を持つ、自他共に認める「豪商」であった。

〔PHOTO〕横浜の赤レンガ倉庫
 

資産は当時の額で100万円(現在の価格で5億円ほど)とも噂されており、当時の横浜市内では知らない者はいないほどの金持ちだったが、同時に「ズル弁」と影であだ名されるほどの狡賢い性格で、「儲けるためには手段を選ばない」冷酷な経営者としても知られていた。そんな鈴弁が5月30日に深川支店へ出かけて以来、横浜へ帰っていないというのだ。

当時、鈴弁は65歳。老人ということもあり、家族や従業員そして警察が懸命に探したが、見つからず「身代金目的で誘拐されたのでは」と心配しているのだという。

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