夕張の苦境に想う…都会人が言う「もう経済成長はいらない」は正しいか

無自覚に行われる「地方搾取」について
御田寺 圭 プロフィール

「もう経済成長はいらない」?

「経済成長よりも持続可能性を優先すべきだ」「これ以上の豊かさはいらない」――と声高に主張する人の多くは中高年層であり、長くて30年もすれば、望むか望まないかは別としてこの世界から退場できる。ゆえにかれらは「未来の街」のリアルな姿を見なくてもすむ。「未来の街」を作り出した責任を負わずにもすむ。

しかも、地球環境や持続可能性を慮った「脱成長」を説く人びとにかぎって、往々にして自分自身はたいそう物質的に満たされた豊かな生活をしている。ようするに、かれらはすでに《アガリ》を決め込んでいるからこそ、好きなだけ「道徳的」な言説を表明することができるのだ。「道徳的」な言説のとおりの社会を実現することによって生じる代償を支払うのは、自分ではなく次世代の若者たちだからこそ、いくらでも「ただしい」ことを言える。かれらのような人のことを本当の意味で「偽善者」というのだろう。

 

年老いた賢人たちの語る「ただしさ」に感化されて「これ以上の豊かさは要らない」と喧伝する若者たちには、まだまだ長い人生が待っている。イギリスで先日開催されたCOP26にあわせて、若者たちが新宿駅前で「石炭火力発電廃止」を訴える抗議行動があったようだ。*3 物質的に満たされた暮らしを送りながら、その傍らで環境問題に情熱を注ぐ若者たちは、心からの善意によって「豊かさと地球環境の持続可能性が調和した未来」がやってくることを無邪気に想像しているのかもしれない。

しかしそうはならない。自分の暮らしがいまのところ豊かなのは、大都市が地方都市から若い人的リソースを搾取した繁栄で成り立っているからだ。大人になってもずっと首都圏や近畿圏の大都市で暮らしてさえいれば「豊かさと持続可能性が調和した理想的な未来の街」が疑似的に達成されているように見えるのかもしれない。だがその理想郷は、地方に散在する小さな町々から若者を搾取し、そして廃墟にすることによって成立している。

豊かさは、人がいなくなればあっという間に朽ち果てる。

人はいま、地方からどんどんいなくなっている。東京のような巨大都市に暮らしているかぎり、そのリアリティは感じられなくなっていく。これこそが分断と呼ぶべきものだろう。

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