美波町から牟岐町を経て海陽町へ――。海岸線を往来するうちに出会った人びとは、身近にあるものを守ることで、町を循環させつづけていました。

藍と海。自分らしく文化を紡ぎたい

染め上がったクロス。生薬として抗菌・防臭効果もあるといわれる藍は、濃い色にするほどに手間がかかり、かつて縁起色とされていた。

人類はかつて、空と海の自然からブルーの美しさを見つけた。そして私たち日本人は、文化の中でもブルーの美しさを見つけている。「藍色」のブルーがそれだ。室町時代にはすでに藍の栽培が行われていた徳島県。かつては「海部」と呼ばれ、海洋民族が暮らしたこの海陽町で、藍の歴史と文化に想いを馳せる人がいる。

永原レキさん。藍染めの文化をさまざまな業種とつなぐ藍染めプロデューサーとしても活動する。

「20代でサーファーとして世界のさまざまな場所を旅しました。そして各地で出会ったサーファーたちの、自然や故郷を重んじる姿に影響を受けて、彼らのように生きることが僕のミッションだと感じました。12年前、故郷の海陽町に戻り、自然とともに受け継がれてきた徳島の藍の文化を知っていくうちに、もっと広めたいと思ったんです。この地に残る伝統や技術といった特定の何かだけではない、空気や水など、もっと広い範囲で、生まれ育った徳島の魅力や価値を、僕なりに伝えていきたいんです」

大きな窓のある開放的な〈in Between Blues〉の藍染めスタジオ。そこから望む海陽町の海は限りなく美しい。
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そう語るのは、フリーサーファーの永原レキさん。徳島の伝統文化とサーフカルチャーをつなぐ、ショップ&カフェ〈in Between Blues〉のオーナーだ。衣料品やインテリア雑貨など藍染めによるプロダクトを取り扱う同店では、一般客が藍染め体験できるスタジオを併設。参加者に藍染めの実践だけでなく、天然藍の文化とその魅力について伝える「座学」の時間を設けることも大切にしている。

藍、サーフィンを通して得た経験や人とのつながりを生かし、ジャンルを超えたコラボレーションなどたくさんのプロジェクトを実現させている永原さん。彼の故郷を大切にする強い想い、そして人なつっこさもあってのことだろう、〈in Between Blues〉には常に多くの人が訪れる。

藍の乾燥葉。これを発酵させて阿波の藍染めの染料「蒅」ができる。

永原さんの藍の文化への関心は、東京オリンピック・パラリンピックの公式エンブレムに「藍色」が採用されたことで、さらに深まった。美術家・野老朝雄さんによるサーフィン日本代表チームの2020年の公式ウェア「QUIKSILVER×TOKOLO」コラボモデルを永原さんが企画し、上板町の藍師・染師の〈BUAISOU〉の協力のもと実現。藍を通じて世界とつながるプロジェクトを重ね、藍と藍をとりまく歴史や文化への探究は、さらに深まっていった。

〈in Between Blues〉の藍染めスタジオにて。天然の発酵藍染めのため、毎日甕をかきまぜる。

「藍の生産を支えたのは吉野川流域ですが、それを流通させるために廻船業、船大工、その材料となる林業に携わる海部の人びとが貢献していたことがわかりました。彼らによって、古来より、海を通じて藍をはじめとするさまざまなものが全国の市場とつながり、徳島の文化がつくられてきたんだと思うんです。だから、徳島の藍を語るうえで、海陽町の海と廻船業と、そしてそこで生計を立てていた海洋民族のことは欠かせない。そういったことを世界中に発信していきたいですね」

藍を生産する藍師や染師の技法と価値を、自分らしいストーリーで伝承したい。さわやかに語る永原さんは、まさに現代の藍商人だ。世界を知る彼が心動かされた風景、そして“徳島ブルー”に出合うことは、この地を訪れるのに十分な理由になるはずだ。

in Between Blues
海部郡海陽町宍喰浦字松原216-3
☎0884-70-1488