2021.12.27
# 中国

別れ話のもつれを「世界的事件」に拡げた中国女子テニスプレーヤーの激情

彭帥事件の真相を読み解いてみたら
北村 豊 プロフィール

どう見ても納得づくの関係

張高麗が天津を離れて北京に到り、国務院副総理となるのは2012年11月だから、彭帥と性的関係を持ったのは2011年(告発文には「十数年前の天津の時と同様に」とある)であろう。それから張高麗が中央政治局常務委員に選出され、天津を離れる2012年11月までの1年近くにわたって、2人は不倫の関係を続けていたようだ。だが、張高麗はある日突然に彭帥との関係を絶った。彭帥は張高麗が自分の手が容易に届かぬ高みに上ってしまったと考えて、彼に対する未練をいったんは断ち切った。

それから7年間が経過した2019年頃に、全ての官職を引退して自由の身になった張高麗は、天津テニスセンターの劉コーチを経由する形で彭帥に一緒にテニスをやろうと連絡して来た。誘いを断る訳にも行かぬので、ある日の午前中に北京にある張高麗の自宅からほど近い康銘ビルで、張高麗夫人の康潔を含めてテニスをやった。

その後は2人に連れられて張高麗の家に行ったが、張高麗は夫人の康潔がいるにもかかわらず、彼女を自分の部屋に連れ込んで性的関係を求め、彭帥は張高麗の求めに応じてしまった。しかし、彭帥は「その日の午後に康潔夫人がその部屋の外で私を見張っていたなんて誰が信じようか」と述べており、康潔夫人は張高麗が彭帥と彼の部屋で性的関係を持つことを容認していたように思える。

 

これを境に張高麗と彭帥の2人は焼け木杭には火が付いた。2人(あるいは康潔を含む3人)でテニスをした後に張高麗の家へ同行し、彼の部屋で逢瀬を楽しむようになった。張高麗の家で彭帥が康潔と2人になることがあると、彭帥は康潔から侮辱や嫌みの言葉を投げかけられたというが、彭帥にとっては張高麗との関係を良好に保つためなら苦にならなかった。

関連記事