そもそも、「やりたいことを楽しくやらせる」がモットーだった大谷の父・徹さんは、息子に「野球の練習をしろ」と注意することは一切なかった。
楽しく野球をやらせる---。それは、朝から晩まで父とバッティングセンターにこもっていたイチローのような、一昔前のプロ野球選手の成功譚とは一線を画する意識だ。
〈160kmを投げる〉
〈メジャーに行く〉
〈メジャーに行く〉
大谷は、幼い頃から大それた目標を、臆することなく口にしてきた。
この背景にも、「子供が思ったことを大人の顔色を窺わずに言えるように」と願う両親の深慮がある。
徹さんと母・加代子さんは、大谷が小さい頃に一つの誓いを立てた。

それが、「子供の前で絶対に夫婦喧嘩をしないこと」だった。
「親が喧嘩をすれば、居心地が悪くなり、顔色を窺うようになる。ご両親は家庭の雰囲気をいつも朗らかにして、子供たちが話したいことをなんでも話せる空気を作っていた。おかげで、大谷選手は反抗期もなく、中学2年生までお父さんとお風呂に入っていたそうです」(吉井氏)