企業がメタバースに大きな関心を寄せる理由は、メタバース内での経済取引が可能になることだ。これは、現実世界では想像もつかないことを実現する可能性があるが、他方において、現実世界の税制などを破壊する危険もある。
新年の夢として、その可能性と危険性を考えてみよう。
メタバースへの期待と制約
メタバースに対する期待が急速に広がっている。世界の様々な企業がこれに向かって走りだした。
人々がメタバースに参加する理由として言われるのは、その世界に没入して、現実世界を忘れて時間を過ごせることだ。
さまざまな世界が作り出されるだろう。例えば、アマゾンの奥地やアフリカの奥地、あるいは南極への探検など。あるいは、火星旅行も可能になるだろう。その他さまざまの催しが作られ、人気を呼ぶだろう。
しかし、当然のことではあるが、いくらメタバースに没入できるといっても、1日中そこにいるわけにはいかない。人々がメタバースで過ごせる時間には、限度がある。そこで、今後は、「可処分時間」という概念が重要になるだろう。
とりわけ子供たちに対しては、メタバースで過ごせる時間に強い制約をかけることが要請されるだろう。
だから、メタバースは、いくら広がったとしても、現実世界のごく1部を占めることにしかなり得ない。
そうは言っても、メタバースは大きな可能性を持ちうる。
第1は、 これまではSNS等によって収集していたデータを、メタバース内での行動から収集できることだ。それにより、多数の人々の詳細なデータが得られる。それらのデータの医療への活用も考えられる。

メタバースで得られるデータは、メタバースの提供者が握ることになる。メタ(旧Facebook)がメタバースを構築しようとする大きな理由は、ここにあるに違いない。