「『じゃあ、僕が1番を取ったらやりたいことをやらせてください』と言って、それから必死で勉強しました。アメリカって学校の成績トップ10が表彰されるんですけど、3期ほど連続でトップ10に入りました。
その成績表を親父のところに持っていくと、『分かった、やりたいことをやっていい』と。それで高校を中退してイタリアに行ったんです」

職人気質の「とんでもない世界」
父親の反対を乗り越え、念願の職人修行を始めることになった優一さん。ただそこはやはり厳しい職人の世界。相当の苦労があったようだ。
「イタリアに、引退した職人さんが若手を育成する学校があって。そこにいらっしゃったのがアンジェロっていう僕の師匠。お会いして一目惚れしてしまって、この人について行こうと決めたんです」
「イタリアは英語があまり通じないんですよ。けど、イタリア語は『ボンジョルノ』しか知りませんでした。当然、授業の意味も分かりません。授業といっても、座学はありません。靴の工房そのもので、師匠が作っているのを見て盗むというスタイルです。
工房で交わされる会話も専門用語だらけ。まずはその用語をバーッと覚えるところから始めました。3カ月くらいで、工房の中での会話はできるようになりました」
「イタリアでは工房から徒歩40分くらいのところに住んでました。バスもあるんですけど、毎日歩いて通ってました。自分で作った革靴を履いて歩くんですよ。そうすると、どこが良くてどこが悪いのかがすぐ分かる。それで毎日工房まで歩いてましたね」