真実は? ヒトが日本列島に到達してから現代日本人になるまでの「3つの説」

日本列島人の生きてきた時空【後篇】
斎藤 成也 プロフィール

混血説について

日本人の起源に関する混血説は、明治初期に日本で医学を教えたドイツ人のエルヴィン・ベルツが最初に唱えました。

エルヴィン・ベルツ photo by gettyimages

まずシーボルトの考えを受け入れて、アイヌ人が北部日本を中心に分布した先住民族であるとしました。次に日本人を長州型と薩摩型とに分け、前者は中国東北部や朝鮮半島などの東アジア北部から、後者はマレー半島などの東南アジアから移住した先住民の血を色濃く残していると考えたのです。

ベルツはまた、アイヌ人と沖縄人の共通性を指摘しています。これはアイヌ沖縄同系論として、その後の日本人の二重構造説などにつながっていきます。

日本人研究者として混血説を最初に唱えたのは、明治の中ごろから第二次世界大戦後まで長く活躍した鳥居龍蔵です。鳥居は主として考古学的、民族学的な知見から混血説を提唱しました。

混血説を主張した研究者は多数います。

大正時代に縄文時代の貝塚遺跡から出土した多数の人骨を比較した清野謙次、第二次世界大戦後に北九州や山口県の日本海側の遺跡から大量の弥生時代人骨を発掘調査した金関丈夫。

時代が降って、1980年代に主として人骨の比較解析から日本人の二重構造説を推し進めた埴原和郎(はにわら かずろう)と山口敏、遺伝子データからそれを補強した尾本惠市(血清タンパク質と赤血球酵素)、宝来 聰(ミトコンドリアDNAとY染色体)、徳永勝士(HLA[ヒト白血球抗原])が代表的です。二重構造説については、後ほど改めてご説明しましょう。

変形説について

日本人の起源に関する3つめの考え方が変形説です。日本列島に渡来した第一の移住者の子孫が現在の日本人であり、過去と現在の時代差は、同一集団の変化にすぎないとします。長谷部言人(はせべ ことんど)が提唱し、その後鈴木尚が実際の骨の資料を調べた結果をもとに主張しました。

この考え方は、十万年、百万年という長期的な進化を考えれば、もちろん妥当なものです。進化の基本は遺伝子の変化であり、突然変異が蓄積するには、通常それだけの時間が必要だからです。

逆に、骨の形態変化には、非遺伝的な要素があります。よく知られているように、1867年の明治維新以降、日本人の成人の平均身長は大きく増加しました。成人男子の場合、江戸時代末期には157cm程度だったものが、150年ほどたった21世紀初頭では、170cmほどとなっています。

【グラフ】日本列島中央部における人間の身長の時代的変遷日本列島中央部における人間の身長の時代的変遷(『図解 人類進化』収載のグラフより作成)

古代から近世にかけて、身長が161cmから157cm程度に低下しました。その後150年ほどのあいだに170cmまで平均身長が伸びたのは、明治時代以降の栄養条件の改善のためだと思われますので、それ以前の身長の低下も、栄養条件が悪化していったからかもしれません。国際結婚が増えたといっても、それが日本列島人の遺伝的構成を大きく変えたとは考えられません。

すると、採集狩猟が中心だった縄文時代と稲作を導入して農耕社会に変化していった弥生時代という、生活様式が大きく変化したふたつの時代に生きた人々の体型の違いも、環境変化だけで大部分説明できるのではないか、という可能性がでてきます。

たとえば身長の増加です。最近150年の場合ほど劇的ではなかったようですが、縄文時代の人々の平均身長が158cmほどであったのが、古墳時代になると163cmほどと、ぐっと高くなっています。

また日本人の頭の形が前後に長い形から丸くなってきています。人類学では伝統的に頭示数{頭幅/頭長×100}を用いますが、世界的に短頭化現象が進んでいることもあって、この後に述べる、時代変化の少ない形態小変異のような形質がいろいろな人類集団で比較されるようになっています。

変形説は、次々に発表された新しいデータから、遺伝的に異なる系統が合流するほうが大きな変化を説明しやすいということがわかってきました。

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